伊丹市
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大阪モノレール大阪空港駅付近に、伊丹市の飛地小阪田)が存在する[5]
歴史

サヌカイト(讃岐石)製のナイフ形石器が西摂地方[注釈 1]で発見されている。

伊丹市緑ヶ丘1丁目付近で石鏃が4個[注釈 2]、桜ヶ丘3丁目で1個[注釈 3]見つかっている。この両地域で竪穴建物が数棟発見されている。川辺郡神津村の2カ所(大阪空港A[注釈 4]・B遺跡[注釈 5])から縄文土器が出土している。「縄文のない縄文土器」が現れた時期である。

伊丹市松原で1960年代に弥生土器が地下10メートルほどから出土し、その腹部にノギ[注釈 6]のついた籾の圧痕が残っていた。この土器は畿内の弥生土器第V様式で後期に属し、今から凡そ1600年前のものである。

伊丹に関連の深い「猪名部」・「猪名県」などは『日本書紀』に表れる。古くは「摂津国」の「西摂」と呼ばれた地域。

市の名前は、摂関家領橘御園を鎌倉時代から管理していた伊丹氏の名に由来すると考えられる。
市制施行以前


正平6年/観応2年2月26日1351年3月24日):室町幕府執事の高師直とその兄弟の高師泰らが上杉能憲らによって暗殺される。

戦国時代には、有岡城が置かれていた。

江戸時代万治4年/寛文元年(1661年)には摂関家である近衛家の所領とされ、その保護の元に造酒業が栄えた。

天明6年(1786年) : 小西家が「日本三大私設道場」のひとつ「修武館」を開く。

明治3年(1870年):近衛家の所領が兵庫県に編入される。

1908年明治41年) : 剣術の形「修武館奥之形」が定められる。

市章の合印紋は市制施行時に近衛公爵家から拝領したものである。


1912年(明治45年)3月 : 東野地区で育てられた東京の荒川堤の桜が、アメリカ合衆国ポトマック川に植樹される。

1936年1月20日伊丹公論創刊、1940年11月10日廃刊

1939年昭和14年)1月17日 : 大阪第二飛行場(後の大阪国際空港)が供用開始された。

市制施行後


1940年(昭和15年)11月10日 : 川辺郡伊丹町稲野村が合併し市制を施行する。

1943年(昭和18年)1月4日: 市章を制定する。[9][10][11]

1947年(昭和22年)3月1日 : 川辺郡神津村を編入する。

1950年(昭和25年)10月10日:伊丹市歌を制定。

1953年(昭和28年)公立高校入試において総合選抜を実施。

1955年(昭和30年)4月1日 : 宝塚市の一部(旧長尾村の一部:荻野・荒牧・鴻池・大野新田)を編入する。

1959年(昭和34年)7月3日 : 大阪第二飛行場→伊丹飛行場→伊丹エアベース→大阪空港と変遷してきた空港が、第1種空港大阪国際空港と改称し、国際線が本格就航を始めた。

1960年(昭和35年)総合選抜を廃止。

1960年(昭和35年)8月:台風18号の影響で、天王寺川が決壊。岩屋・口酒井・森本地区被害甚大。

1970年(昭和45年)11月10日:市民憲章「伊丹市民の誓い」を制定[12]。市の木にクスノキ、市の鳥にカモ、市民の花にツツジが選ばれる。

1970年(昭和45年):市の人口が15万人を突破。

1971年(昭和46年) 総合選抜を再実施。

1973年(昭和48年)10月1日 : 空港公害などをうけ、大阪国際空港撤去都市宣言を採択した。

1980年(昭和55年)11月10日 : 市旗を制定する。[13]

1990年平成2年)12月3日 : 大阪国際空港の存続及び今後の同空港の運用等に関する協定(通称存続協定)を運輸省との間で結び、1994年9月4日関西国際空港開港後の大阪国際空港の存続方針を確定させた。


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