河口北岸には、無土器期の仲間第一貝塚[10]及び下田原期の仲間第二貝塚[11]の2つの貝塚があり、ともに沖縄県の史跡に指定されている。
河口にはかつて、1711年(康熙50年)に竹富島や新城島からの移民によって左岸に成立した仲間村や、右岸の南風見村があったが、マラリア流行のためともに明治時代に廃村となった。
流域の山は新城島や波照間島の島民の材木伐採地となっていて、1850年(道光30年)頃、船材を伐り出して船の修理を行なっていたという[12]。
また、流域には新城島からの通い耕作による水田が分布しており、河口右岸にあった水田はウパルダ(大原田)と呼ばれていた[5]。 河川では遊覧船やカヌー等によるエコツアーが行われている。ツアーを行う業者らは「自然環境の保全」と「持続可能な利用」を目的として、航行速度の規制、エンジン付き船舶の隻数制限、野生動物の採集禁止等を定めた仲間川地区保全利用協定を締結しており、2004年6月に沖縄県の認定を受けている[13]。
利用
橋梁
仲間橋 - (沖縄県道215号白浜南風見線)
脚注[脚注の使い方]^ a b “仲間川
^ 改訂新版 世界大百科事典(オンライン版) 平凡社
^ ⇒“1世に感謝、入植65年祝う 西表大富公民館が記念祭”. 八重山毎日新聞. (2017年8月30日). ⇒http://www.y-mainichi.co.jp/news/32167
^ 「八重山ジャンルごと小事典」p44、崎原恒新著、ボーダーインク