仲村秀生
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1957年3月、下村正夫主宰「新演劇研究所」に入所し[10]スタニスラフスキー・システムを学ぶ。同研究所の発展的解消後、1958年の劇団「新演」の立ち上げに参加[1][16]

同じ劇団に所属していた寺島幹夫が『アンタッチャブル』で吹き替えの仕事をしていたことがきっかけで、1959年に『ローハイド』の吹き替えで声優デビュー[10]

民放テレビ局が続々と開局するに伴い、太平洋テレビ芸能部に在籍しマスコミ出演を始め、1960年には東京俳優生活協同組合創立に参加[17]。以後、劇団解散などの事情もあり、外画、アニメ、CMナレーション・ナレーターなど声の仕事を中心としていった[15]

1969年から放送の『鬼警部アイアンサイド』では、ドン・ギャロウェイ演じるエド役の吹き替えでパイロット版から7年にわたって出演した[10]。アニメでも草創期から声優として活躍し、1967年放送の『スカイヤーズ5』の隼太郎役で初めて主役を演じた[17]

現役時は同人舎プロダクション[10]、新企画[18]ぷろだくしょんバオバブ[7]、黒沢良事務所[2]を経て81プロデュース[9][5]に所属していた。

1990年代後半には劇団魚座を旗揚げして演劇活動に再び打ち込み、東京アナウンス学院代々木アニメーション学院の講師としても後進の育成にも積極的に力を入れるようになり[15]、仲村秀生声優塾を経営していた[19]

一方、私生活ではアルコール依存症躁鬱病を発症し統合失調症妄想性人格障害のような症状も併発させ、闘病生活を送るようになっていた[6]。この影響により1990年代以降は声優活動での持ち役の多くを降板し、70歳を越えてからは事実上の休業状態に入っていた[6]

2011年に旧友が自主制作した記録映画『甦る里山』でナレーションを依頼され、久々の出演作となった[20][21][出典無効]。その後、2012年4月6日ファミリー劇場で放映された『宇宙戦艦ヤマト2199公開記念特別番組?新生ヤマト発進宣言?』でナレーションを担当した。これが仲村の公的な出演作で最晩年の作品となった。

2014年6月に体調を崩して再び療養生活を送るようになり、7月30日に入院先の東京都立松沢病院で入浴中、溺死した[6]。79歳没[14]。仲村の死去が報じられた際には関係者の意向により死因は伏せられ、告別式密葬で行われた。
人物

東京都狛江市に住んでいた時期もあった[3]

特技はスキー合気道[9]。趣味は読書釣りカメラ[7]

声種バリトン[18]。また「僕の声は年より若い」と仲村自身は語っており、『宇宙戦艦ヤマト』の島大介はナチュラルなトーン、『あしたのジョー』の力石徹はマイクの使い方で作った声と語っている[22]

役柄としては2枚目役が圧倒的に多かったが、『ど根性ガエル』では3枚目の南先生役を演じていた[3]

『あしたのジョー』の力石徹は、ある日、グロービジョン・スタジオへ呼ばれ、行っていたところ、昔の劇団の先輩、左近允洋が「秀生、これやってくれ」と言って、一枚のキャラデザインを渡していた[8]。その時は「洋画の吹き替えならやってもいいが、アニメなんて下手な役者がやる仕事だ」と思い、「こんな役できません。帰らせてもらいます」と言って、帰り支度を始めていた[8]。左近允は慌てて「おい、待て秀生。お前ならできるよ」と言われ、「ウーム、これも仕事か。おれも金はほしい。」としばらく考えていた[8]。当時は妻、娘、息子が腹をすかせて待っており、「よし、いっちょやったるか」と考えて、そんないきさつで、演じることになった[8]。後にこれほど人気が出るとは思いもよらず、役の上とはいえ、葬式が出るとは夢にも思わず、涙もろいだった仲村は、嬉しかった[8]。この後、段々とアニメの仕事が増えていったが、増してアテレコの仕事が続々増えていくキッカケになった作品でもあった[8]。ただし一つ残念だったのは、劇場版が制作された時には出演させてくれなかったことだったという[8]

『宇宙戦艦ヤマト』の島大介はある日CMスタジオで仕事をすませ、コーヒーを飲んでいたところ事務所から電話があり、「又、急な話もあるもんだ」と思いながら車でかけつけていた[23]。ロビーを見渡すと役者が誰もいなかったが、スタジオのドアが開いて田代敦巳が出て来た[23]。その時に田代が別の声優が1話を録音して演じていたが、慣れてなかったため、周囲のベテランとセリフがかみ合わず、あちこちからクレームが来ていたことを話し、急遽起用されたという[23]

新劇俳優出身であることから「声の仕事は役者の仕事の一環」という姿勢を持っていた。得意としていたジャンルは芝居、洋画のアテレコナレーションであり、アニメーションの仕事は得意ではなかったという[24]。なお、アニメーションの収録ついて「舞台のように役作りは時間をかけて臨むべき」という自身の姿勢を徹底することが困難なことから、晩年には不本意な部分もあった趣旨の発言をしたこともあったという[25][信頼性要検証]。

演技に関するこだわりが強いことで知られ、その強い個性から後に「お付き合いが最高に難しいタイプの役者さんだったのではないか」と評されることもあった。主演の吹き替えを担当した洋画『アビス』では、公開後にディレクターズカット版公開に伴う追加録音が行われた際、変更された音響監督が「やっつけ仕事のよう」な演出だったことから怒鳴りつけたというエピソードがあるなど、プロデューサーや監督と仕事に関する意見で衝突することもあった一方、この降板を覚悟の上での行動を「仲村さんに関してはやる」と仕事仲間内では有名だったという[25]。『ロボット刑事』で主役のKを演じた際、あるときアフレコで「怪獣の声の人」と助監督が呼び出したところ、「『怪獣の声の人』とは何だ!」「れっきとした俳優を何だと思っているんだ!? 大竹宏さんは我々の大先輩じゃないか!」と声優を軽んじた助監督に激怒して怒鳴りつけたこともあった[26]

中田浩二は声優業における尊敬する先輩として仲村の名を挙げ、仕事に対する姿勢、スタジオでのマナー、コンディション作りなど、何もかもが立派で大いに刺激を受けたと語っている[27]


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