仲村トオル
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自信をなくしたことが影響して徐々に成績が下がり、3年生の頃に県立の志望校の受験に失敗[2]。私立高校に進学したが、本人曰く「野球での挫折や受験失敗が尾を引いて、曇り空みたいな高校生活を過ごした」という[注釈 3]。放課後は校庭で部活に熱中する同級生を見るのも嫌だったため、さっさと帰ってビルの清掃や運送会社の手伝いなどのアルバイトをした[2]

大学入学直後の4月に突然父親が倒れて2、3週間後に亡くなったが、悲しみの中いきなり中退して社会人になる自信がなかった[2]。「いずれ中退するまでに就職に繋がる何かを早く探さないと」と考え、とにかくバイトしながら学生生活を送った[2]。大学2年生の夏、書店で立ち読みした雑誌に「映画の出演者男性2人募集」との広告を見つけた[2]。「映画会社に履歴書を出せば就職のコネができるかも」と気軽に応募したのが、映画『ビー・バップ・ハイスクール』の主役オーディションだった[2]
『ビー・バップ・ハイスクール』

当時原作漫画をよく知らないまま[7]オーディション会場に訪れると、参加者の多くは不良やヤンキーばかりだった。本人は「何か勘違いしていた」と場違いなことに気づいたが、意図せず主役キャラクター“中間徹”に選ばれた[2]。この時、役名と本名が似ていたこともオーディション合格の一因となったことが、後に『ヤングマガジン』の編集者によって語られている。決定的となったのは、原作者のきうちかずひろが「自分がおもい描く“中間徹”にイメージがピッタリ」と言ったこと。後に本人は、「会場には本物のツッパリの人もたくさん来ていて、僕みたいな普通の大学生みたいなのがいると目線が怖かったですよ、帰りに因縁つけられそうになったり」とラジオ番組で語っている。

撮影前の1か月間、千葉の自宅から府中高瀬道場に通い、人を殴ったように見える殴り方や受け身などのアクションの練習をした[7]。初めての芝居で何度もテイクを重ねることもあったが、撮影現場が面白かったことから俳優業に憧れるようになった[注釈 4]
その他

憧れの俳優は
松田優作。松田は仲村の所属事務所だったセントラル・アーツの先輩俳優であり、生前の松田本人も仲村を弟のようにかわいがっていた。松田がで他界した際も、仲村は遺体の前で「優作さん、起きてください!早すぎます!」と絶叫しながら泣き崩れたという[8][注釈 5][注釈 6]

松田優作が1989年のアメリカ映画『ブラック・レイン』に出演したことが刺激となり、海外作品でもやってみたいという気持ちが芽生えた[7]。1994年に日米合作映画『刺青 BLUE TIGER』に主演し、以降1999年の香港映画『ジェネックス・コップ』、2002年の『ロスト・メモリーズ』、2003年の中仏合作映画『パープル・バタフライ』など海外作品にも意欲的に出演するようになった[7]

『ビー・バップ・ハイスクール』、『もっとあぶない刑事』など各シリーズでは喫煙シーンが多数あったが、本物のタバコは苦手で演じるのに苦労したことがあった[9]

『ビー・バップ・ハイスクール』の後、同作の那須博之監督とコンビを組んだ『新宿純愛物語』にも主演した。本人なりに頑張って撮影に臨んだが公開後の客の反応はイマイチだったものの、この敗北感はその後の役者人生の原動力となった[7]

歌が苦手であることを自認している[10]。1986年には映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』の挿入歌『ビー・バップ・パラダイス』を歌うビー・バップ・少年少女合唱団のメンバーとしてレコードデビュー。1987年には映画『新宿純愛物語』で共演した一条寺美奈とデュエット曲、同年12月に映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲』の主題歌『It's All Right』でソロデビューしている。『It's All Right』はオリコンシングルチャートで最高位3位を記録[11]

『劔岳 点の記』の撮影時、「クレバスに落ちるシーンを自分でやらせてほしいとスタッフに懇願したというエピソードがある」と、多賀谷治が明かした[12]

受賞

1987年 - 第10回
日本アカデミー賞 新人賞(『ビー・バップ・ハイスクール』)

1987年 - 第41回毎日映画コンクール スポニチグランプリ新人賞(『ビー・バップ・ハイスクール』)

1987年 - 第8回ヨコハマ映画祭 最優秀新人賞(『ビー・バップ・ハイスクール』)

1988年 - エランドール賞 新人賞

2002年 - 第39回大鐘賞 助演男優賞(『ロスト・メモリーズ』、「韓国のアカデミー賞」とされる大鐘賞において韓国人以外の受賞は初である[7]

2008年 - ベスト・ファーザー イエローリボン賞

2009年 - 第23回高崎映画祭 主演男優賞(『接吻』)

出演作品
テレビドラマ

あぶない刑事シリーズ(1986年 - 1998年、NTV) - 町田透(刑事)

あぶない刑事(1986年10月5日 - 1987年9月27日)

もっとあぶない刑事(1988年10月7日 - 1989年3月31日)

あぶない刑事フォーエヴァー TVスペシャル'98(1998年8月28日)


なんて素敵にジャパネスク(1986年12月27日、NTV) - 鷹男の帝

あきれた刑事「第1話 悪人志願」(1987年10月21日、NTV) - 本人 役

家光と彦左と一心太助?天下の一大事?(1989年1月3日、ANB、新春時代劇スペシャル) - 主演

ゴリラ・警視庁捜査第8班第1話 - 第16話(1989年4月2日 - 9月、ANB) - 中田透(神奈川県警刑事)

勝手にしやがれヘイ!ブラザー(1989年10月13日 - 1990年3月23日、NTV) - 北村則規

新吾十番勝負(1990年1月3日、ANB) - むささびの源太

新春大型時代劇 戦国乱世の暴れん坊 斎藤道三 怒濤の天下取り(1991年、ANB) - 織田信長

信長 KING OF ZIPANGU(1992年1月5日 - 12月13日、NHK大河ドラマ」) - 羽柴秀吉

俺たちルーキーコップ(1992年4月14日 - 7月14日、TBS) - 矢部良(刑事)

遥かなる八月の詩(1992年、GTV)

琉球の風(1993年1月10日 - 6月13日、NHK「大河ドラマ」) - 羽柴秀吉

土曜ドラマ(NHK)

私が愛したウルトラセブン(1993年2月13・20日、全2話) - 上原正三

放送記者物語(1995年) - 石山史郎


ゴールデンボーイズ - 1960笑売人ブルース(1993年、NTV) - 市川森一

明治青春伝(1993年11月3日、TKU

そのうち結婚する君へ(1994年1月15日 - 3月26日、NTV、土曜グランド劇場) - 唐島信人

幕末高校生最終話(1994年2月12日、CX) - 坂本竜馬

29歳のクリスマス(1994年10月20日 - 12月22日、CX、木曜劇場) - 木佐裕之

毎度おジャマしまぁす(1995年4月11日 - 6月27日、TBS) - 鶴田浩二

ラスト・ラブ(1995年7月17日 - 8月10日、NHK「ドラマ新銀河」) - 白石瞬平


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