代々木
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大木は高さ54メートル、幹の周囲は11メートルと推定され、江戸時代から旅人の目印として有名な大木だったが、明治中期に枯れ、1945年5月の空襲で米軍機が樹上に墜落し焼失した[5][6]

代々木の北東部(2丁目・3丁目)は、千駄ヶ谷(渋谷区)とともに新宿駅と隣接していることから、渋谷区であるにもかかわらず、新宿エリアの一部として南新宿駅新宿サザンテラスなど「新宿」の名を冠する施設や店舗も多い。
歴史「千駄ヶ谷#歴史」を参照
地名の変遷「渋谷区の町名」も参照

代々木村」の名は古く戦国時代の書状にも認められ、江戸時代には大名旗本の屋敷地があった[7]

1878年明治11年)、郡区町村編制法施行により代々木村は南豊島郡に属した[8]1889年(明治22年)市制町村制の施行により代々木村は幡ヶ谷村と合併、代々幡村となる。(この時、現在の渋谷区に相当する地域として他に渋谷村千駄ヶ谷村1896年(明治29年)、これら「渋谷3村」は南豊島郡が東多摩郡と合併して誕生した豊多摩郡に引き継がれた。1915年大正4年)、代々幡村は前述の渋谷3村の中で最後に町制を施行した。

1932年昭和7年)、代々幡町渋谷町千駄ヶ谷町と合併、東京市渋谷区(大東京35区の一つ)となった。渋谷区は1943年(昭和18年)の東京都政への移行、1947年(昭和22年)の東京23区への再編においても区域は変わらず現在に至っている。
その他の歴史

1906年(明治39年) - 甲武鉄道の駅として代々木駅が開業

1909年(明治42年) - 代々木駅が山手線の停車駅となる

1920年大正9年) - 明治神宮創建

1927年(昭和2年) - 小田急小田原線開業(当地域内の駅:千駄ヶ谷新田駅山谷駅参宮橋駅代々木八幡駅代々幡上原駅西原に所在))

1964年(昭和39年)

首都高速4号新宿線が一部開通。代々木出入口が設置される

東京オリンピック開催。アメリカ軍に接収されていた旧:陸軍代々木錬兵場跡地が選手村となる


1967年(昭和42年) - オリンピック選手村跡地に代々木公園が開園

1972年(昭和47年) - 千代田線代々木公園駅開業(富ヶ谷に所在)

1978年(昭和53年) - 千代田線、代々木上原駅まで延伸

1998年平成10年) - 新宿サザンテラス完成、新宿駅-代々木1丁目・2丁目-千駄ヶ谷5丁目の一体化

2000年(平成12年)

代々木駅に隣接する千駄ヶ谷5丁目にドコモタワー完成

大江戸線代々木駅・新宿駅が開業


各町丁の地誌

現行の町丁区分に基づく各地区の様子は次の通りである。
代々木
一丁目

代々木駅があり、駅前には飲食店や事務所などが入居する雑居ビルが多い。代々木ゼミナールはかつて、本部校を含めて多くの建物をこの地に有していたが、2008年平成20年)に新本部(代々木二丁目)が完成した後には、一丁目の建物や機能は大幅に移転・縮小された。

住居表示実施以前には、代々木駅から南西に向かって、「千駄ヶ谷五丁目」(代々木駅を含む)、「千駄ヶ谷四丁目」、「代々木山谷町」という町域になっていた。
二丁目

北部は新宿駅南口に近く、オフィスや商業施設が多くを占める。1990年代中盤以降、JR東日本本社ビル(1994年平成6年))、新宿マインズタワー1995年(平成7年))、小田急サザンタワー1998年(平成10年))などの超高層ビルが次々に完成した。

住居表示実施以前には、町域の大半が「千駄ヶ谷五丁目」に含まれていた。

一丁目・二丁目のビル群

三丁目

住宅街が大半を占め、北より、甲州街道沿いには文化服装学院文化学園大学がある。住居表示実施以前には、町域の大半が「代々木山谷町」であった。

あいおいニッセイ同和損害保険新宿ビル: 三丁目

四丁目・五丁目

明治神宮代々木公園に隣接し、西参道と小田急小田原線、山手通りに囲まれた町域である。地形は起伏に富んでおり、高台部分を中心に住宅街が形成されている。また、各国の大使館も点在する。

現在は暗渠化されているがここに河骨川(こうほねがわ)という小川が南北を貫き、西原から流れてくる宇田川と代々木八幡付近で、渋谷の宮下公園付近で渋谷川と合流して東京湾に注いでいた。唱歌「春の小川」は、この河骨川を見て作詞されたとされており、記念碑が建てられている。

住居表示実施以前には、四丁目の大部分は「代々木山谷町」、五丁目の大部分は「代々木初台町」の町域に含まれていた。

五丁目の住宅地

代々木神園町詳細は「代々木神園町」を参照

(よよぎかみぞのちょう):明治神宮代々木公園の所在地の町名である。面積は120万m2以上に及ぶが、神社・公園以外の建物や居住者はごくわずかである。
元代々木町詳細は「元代々木町」を参照

(もとよよぎちょう):山手通り西参道通り小田急小田原線線路との間の丘陵に位置する住宅地である。
上原、西原、大山町詳細は「上原 (渋谷区)」、「西原 (渋谷区)」、および「大山町 (渋谷区)」を参照

(うえはら、にしはら、おおやまちょう):一般に「代々木上原」と括られる住宅地である。富ヶ谷も含め、隣接する渋谷区目黒区世田谷区の住宅地へと続く。かつて付近には紀州徳川家徳川頼倫侯爵の屋敷があり、昭和初期には「徳川山」の名で分譲開発された。上原、西原、大山には戦後、アメリカ軍関係者の邸宅と思われるプールテニスコートがあり広い芝生の庭つき住宅が点在した。昔の写真によると、この辺りは牧場が広がっていたらしい。
地名の由来明治神宮の「代々木」

江戸名所図会』などによると、現在の明治神宮境内の御苑東門(旧彦根藩井伊家下屋敷)近くに代々の巨木があり、「代々大きな木があった」という意味でこのように呼ばれるようになったとされる。


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