代々木
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2000年(平成12年)

代々木駅に隣接する千駄ヶ谷5丁目にドコモタワー完成

大江戸線代々木駅・新宿駅が開業


各町丁の地誌

現行の町丁区分に基づく各地区の様子は次の通りである。
代々木
一丁目

代々木駅があり、駅前には飲食店や事務所などが入居する雑居ビルが多い。代々木ゼミナールはかつて、本部校を含めて多くの建物をこの地に有していたが、2008年平成20年)に新本部(代々木二丁目)が完成した後には、一丁目の建物や機能は大幅に移転・縮小された。

住居表示実施以前には、代々木駅から南西に向かって、「千駄ヶ谷五丁目」(代々木駅を含む)、「千駄ヶ谷四丁目」、「代々木山谷町」という町域になっていた。
二丁目

北部は新宿駅南口に近く、オフィスや商業施設が多くを占める。1990年代中盤以降、JR東日本本社ビル(1994年平成6年))、新宿マインズタワー1995年(平成7年))、小田急サザンタワー1998年(平成10年))などの超高層ビルが次々に完成した。

住居表示実施以前には、町域の大半が「千駄ヶ谷五丁目」に含まれていた。

一丁目・二丁目のビル群

三丁目

住宅街が大半を占め、北より、甲州街道沿いには文化服装学院文化学園大学がある。住居表示実施以前には、町域の大半が「代々木山谷町」であった。

あいおいニッセイ同和損害保険新宿ビル: 三丁目

四丁目・五丁目

明治神宮代々木公園に隣接し、西参道と小田急小田原線、山手通りに囲まれた町域である。地形は起伏に富んでおり、高台部分を中心に住宅街が形成されている。また、各国の大使館も点在する。

現在は暗渠化されているがここに河骨川(こうほねがわ)という小川が南北を貫き、西原から流れてくる宇田川と代々木八幡付近で、渋谷の宮下公園付近で渋谷川と合流して東京湾に注いでいた。唱歌「春の小川」は、この河骨川を見て作詞されたとされており、記念碑が建てられている。

住居表示実施以前には、四丁目の大部分は「代々木山谷町」、五丁目の大部分は「代々木初台町」の町域に含まれていた。

五丁目の住宅地

代々木神園町詳細は「代々木神園町」を参照

(よよぎかみぞのちょう):明治神宮代々木公園の所在地の町名である。面積は120万m2以上に及ぶが、神社・公園以外の建物や居住者はごくわずかである。
元代々木町詳細は「元代々木町」を参照

(もとよよぎちょう):山手通り西参道通り小田急小田原線線路との間の丘陵に位置する住宅地である。
上原、西原、大山町詳細は「上原 (渋谷区)」、「西原 (渋谷区)」、および「大山町 (渋谷区)」を参照

(うえはら、にしはら、おおやまちょう):一般に「代々木上原」と括られる住宅地である。富ヶ谷も含め、隣接する渋谷区目黒区世田谷区の住宅地へと続く。かつて付近には紀州徳川家徳川頼倫侯爵の屋敷があり、昭和初期には「徳川山」の名で分譲開発された。上原、西原、大山には戦後、アメリカ軍関係者の邸宅と思われるプールテニスコートがあり広い芝生の庭つき住宅が点在した。昔の写真によると、この辺りは牧場が広がっていたらしい。
地名の由来明治神宮の「代々木」

江戸名所図会』などによると、現在の明治神宮境内の御苑東門(旧彦根藩井伊家下屋敷)近くに代々の巨木があり、「代々大きな木があった」という意味でこのように呼ばれるようになったとされる。二代目歌川広重も『絵本江戸土産』に「代々木村の代々木」を描いている。この木は幕末には品川沖の外国船の偵察に利用されたといわれている(通説であって証拠は示されていない。戦前は代々木西原から隅田川の花火が見えたといわれるが、品川沖まで見通せた証拠はない)。その後枯死し、さらに太平洋戦争末期の1945年5月、アメリカ軍による空襲の際、高射砲で撃墜されたB-29が直撃し焼失した[9]。焼失前の1920年頃に撮影された写真が発見され、2017年6月10日から白根記念渋谷区郷土博物館・文学館で公開される予定である[10][11]

現在、その御苑東門近くには樅の大木と共に次のような立て札が掲げられている。代々木
この地には昔から代々樅の大木が育ち「代々木」という地名が生まれました。この前の名木「代々木」は昭和二十年五月の戦禍で惜しくも消失しましたのでその後植継いだものであります。

また別の説として、この地で代々皀莢(サイカチ)を栽培していたからともいわれる。
世帯数と人口

2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
代々木一丁目1,967世帯2,968人
代々木二丁目1,977世帯2,952人
代々木三丁目3,054世帯4,869人
代々木四丁目3,934世帯6,756人
代々木五丁目3,581世帯6,580人
計14,513世帯24,125人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移年人口
1995年(平成7年)[12]17,446
2000年(平成12年)[13]18,896
2005年(平成17年)[14]19,438
2010年(平成22年)[15]21,003
2015年(平成27年)[16]23,111
2020年(令和2年)[17]25,631

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移年世帯数
1995年(平成7年)[12]8,347
2000年(平成12年)[13]9,926
2005年(平成17年)[14]10,873
2010年(平成22年)[15]12,823
2015年(平成27年)[16]13,904
2020年(令和2年)[17]15,455

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年3月時点)[18]

丁目番地小学校中学校調整区域による変更可能校
代々木一丁目5?11番渋谷区立代々木山谷小学校渋谷区立代々木中学校渋谷区立原宿外苑中学校
その他渋谷区立原宿外苑中学校渋谷区立鳩森小学校


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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