仏文科
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ユグノー戦争などの宗教戦争による混乱や、天動説の否定に代表される科学の発達などによる価値観の揺らぎは、自由奔放・不規則・虚無・矛盾などを特徴とするバロック文学を生み、ルイ14世即位の前後を境目に、古代に範を取り調和を主んじる古典主義がこれを置き換えてゆくが、また(ピエール・コルネイユのように)双方の潮流に同時に影響を与えた作家たちもいたので、相補的でもあった。

1635年に、アンシャン・レジーム下でフランス語の純化と標準化を目的とするアカデミー・フランセーズが設立され、フランス語とその文学の地位向上に資すと共に、文学の領域に規範意識が持ち込まれるようになる。古典主義を巡っては『ル・シッド』論争新旧論争などが激しく戦われ、世紀末には既に啓蒙主義の先触れとなる思潮が文学に現れてくる(ジャン・ド・ラ・ブリュイエールなど)。

この時代の文学上重要な人物にはピエール・コルネイユジャン・ラシーヌモリエール(古典主義の三大劇作家)、ブレーズ・パスカルラ・ロシュフコージャン・ド・ラ・フォンテーヌニコラ・ボアロー=デプレオージャン・ド・ラ・ブリュイエールラファイエット夫人セヴィニエ侯爵夫人マリー・ド・ラビュタン=シャンタル、レー枢機卿などがいる。
18世紀ジャン=ジャック・ルソー啓蒙思想」および「啓蒙時代」も参照

18世紀啓蒙思想: Lumieres 「光」)の世紀と呼ばれる。この「光」というメタファーによりこの世紀は、ルネサンスの精神と前世紀のデカルト主義を通じ、蒙昧(: Tenebres「闇」――蒙昧主義偏見)に対する理性の勝利を確立しようとした。啓蒙思想はヨーロッパの現象であるが、この時代フランス語はヨーロッパのリングワ・フランカの地位を獲得しており、フランスの哲学者たちが世紀の思想を最も良く結晶化させ、フランス革命を越えてヨーロッパと全世界に恒久的な影響を残すことになる新しい諸価値を浮き彫りにした。

ピエール・ショデルロ・ド・ラクロマルキ・ド・サドなどリベルタン小説の流れなどもあり文学の多様化が進んだが、概してフィロゾフ(広義の哲学者。理性と熟慮に基づき行動する知識人を指した[1])の時代であった。啓蒙主義の主要なフィロゾフにはヴォルテールジャン=ジャック・ルソー、『百科全書』のドゥニ・ディドロシャルル・ド・モンテスキューらがいる。
19世紀オノレ・ド・バルザックロマン主義」、「写実主義」、「自然主義」、「高踏派」、および「象徴主義」も参照

19世紀は数々の傑作を生んだ重要な世紀であるが、我々にも近いこの文学時代は包括的な理解が難しいものであり続けている。多くの文学史家にとって、フランス文学の19世紀はフランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンとそれからヴィクトル・ユーゴーロマン主義スタンダールオノレ・ド・バルザックギュスターヴ・フローベールレアリスム(写実主義)、エミール・ゾラモーパッサン自然主義などの時代である。19世紀後半のフランス詩人たち。前列左にヴェルレーヌランボーアンリ・ファンタン=ラトゥール画(1872)

1830年のエルナニ合戦を1つの頂点とするロマン主義の隆盛は部分的にはその原因をいくつかの視点から見出すことができる。フランス革命が刺激した自由の高まり、それから無秩序、不安定さがもたらす混乱、世紀前半からの政治の不確実性といった要素に重点を置く者もいる。


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