日本のアニメ業界には大勢の実力派監督がいるが、海外で名前が言及されるのは、宮崎駿、高畑勲、大友克洋、押井守といった映画を主な表現の場とする監督の名前である[35]。海外ではテレビシリーズよりも映画に作家性が現れるとして、映画監督に対する批評を重視する傾向が強い[35]。そのことがOVAで評価を高めた川尻善昭や、当時はテレビシリーズが活躍の中心であった庵野秀明との知名度の差にもなっている[35]。今の場合も、最初の『PERFECT BLUE』、それに続く2作品が映画だったために「今敏は映画監督である」と世界的に認知され、それによって前者に並ぶ1人になった[35]。今敏のドキュメンタリー映画『今敏 イリュージョニスト』を監督したパスカルアレックス・バンサンによれば、フランスで映画を学ぶ若者の多くが今敏を好きな監督の一人に挙げており、『インセプション』などの作品を好きになって調べるうちにたどり着くというパターンが多いという[88]。
海外先行とされている今の評価だが、実際は海外でも多く語られるようになったのは2000年代前半の『千年女優』『東京ゴッドファザーズ』公開時からであり、さらに批評家や研究者が積極的に語るようになったのは2000年代後半以降になってからのことである[86]。今に関する最も早い主要な論文は、2006年に米国の研究家スーザン・ネイピアが発表した『Excuse Me, Who Are You?: Performance, the Gaze, and the Female in the Works of Kon Satoshi』で、その後2010年代になって研究論文・批評は急激に増えていく[86]。生前も海外での今に対する賛辞は数え切れないほどあったが、今の数々の栄誉や評価は亡くなる直前あるいはむしろ没後のものである[86]。
今の評価は、日本には逆輸入されている印象が強い[78]。海外での高評価に対し、日本での評価は今ひとつで、作品の地上波テレビ放送もなく、特集番組が作られることもほとんどない。2016年のGLAS国際アニメーション映画祭(アメリカ)、2020年の上海国際映画祭(中国)では今の回顧特集が組まれたが、日本の映画祭で今が取り上げられることもない[78]。海外ではアメリカ、ヨーロッパ、中国などでアニメーション関係者の多くが尊敬する監督として今の名前を挙げるが、それだけでなく、前述のダーレン・アロノフスキーやギレルモ・デル・トロといった実写映画の旗手たちも今を支持する[78]。通好みで時代の先端を走る数々のクリエイターがジャンルを超えてリスペクトを示すところに今作品の特徴があり、それは今自身がそういった人物だったことを反映している[86]。日本での評価が海外に比べると薄いと指摘されるのは、こうした映像関係者からのリスペクトの違いが関係する可能性がある[86]。日本でもアニメやマンガ関係者が今への深い敬愛を示すことは多い一方で、ジャンルを超えた実写映画や他のエンタメ業界からは、そうした声はあまり聞かれない[86]。日本では同じ映像表現であっても、実写とアニメは別ジャンルと捉えられがちで、実写関係者がアニメ映画やテレビアニメ、およびその作り手を語ることは少ない[89]。日本特有の実写とアニメの断絶、日本映画界の保守性が国内と海外との評価の違いを生み出している[89]。
今敏を回顧するドキュメンタリーを撮ったパスカルアレックス・バンサンによれば、生前の今には気難しい一面があり、「大変な目に遭った」関係者もいたなど、必ずしも付き合いやすい人物ではなかったという[88]。バンサンはインタビューした関係者から得たそのような今の印象を意外だったとしたが、こうした二面性から溝口健二や小津安二郎のような映画人を想起させたとも語った[88]。
作品