1994年から押井守が原作を担当し、今が作画を担当する漫画『セラフィム 2億6661万3336の翼』が月刊アニメ誌「アニメージュ」で連載される。しかし、連載が進むにつれて2人の間に意見の齟齬が生まれて休載、そのまま未完に終わった[17][23]。押井との対立により、連載開始から1年以上経過したころには、押井の表記は原作ではなく原案に変更されていた[24]。しかし押井は2019年に今について「最高のパートナー」であったと言及している[25]。1996年に今は漫画家としての活動を終え、アニメ制作に専念することになる[26]。 1997年、劇場用アニメ『PERFECT BLUE』で監督デビューを果たす[27][28]。きっかけは、映画の制作会社マッドハウスの丸山正雄からさそわれたこと[20]。漫画家時代からそれまでの今の仕事をチェックしていた丸山は、「ジョジョの奇妙な冒険」で今が担当した回を気に入っていた[20][29]。企画段階での「『アイドル』『ホラー』『ストーカー』の3要素を織り交ぜる」という竹内義和の原作に基づいたシナリオに今が満足せず、竹内の同意を得てから村井さだゆきの協力によりシナリオが全面的に書き換えられた[30][31]。猟奇的なモチーフも盛り込んだ当時のアニメ映画としてはかなりの異色作だったが、高い評価を獲得。特に海外での成功は、後のグローバルでの今の評価につながった[18]。 『PERFECT BLUE』の後、以前からファンであった筒井康隆の小説『パプリカ』(1993年発表)の映画化を考えていたが、『PERFECT BLUE』の配給会社の倒産によって計画が頓挫[32]。新たなオリジナル作品の制作に取り掛かる[30]。 2002年、『千年女優』が劇場公開される[33]。『PERFECT BLUE』と同程度の低予算で製作されたが(概算で1億2,000万円)[34]、前作以上の成功を収め、多くの賞に輝いた。北米公開の配給会社はドリームワークス系のゴー・フィッシュ・ピクチャーズが担当、日本アニメには珍しく大手映画会社が関わった[35]。本作は今が長年のファンであった音楽家の平沢進との初タッグを組んだ作品で[36]、以降の作品でも音楽を担当している。 2003年、『東京ゴッドファーザーズ』が劇場公開。北米公開はソニー・ピクチャーズ系のデスティネーション・フィルムズが担った[35]。またこの作品からセルアニメではなく、デジタルアニメとなった[37]。 2004年、初にして唯一のTVシリーズとなる『妄想代理人』を製作[38]。数々の社会的なテーマも取り入れられ[39]、映画では吸い上げることが出来なかった今が日頃から温めていたアイデアが再表現されている[40]。 2006年、最後の長編作品となる『パプリカ』が劇場公開される。かねてから計画を温めていた作品であり、今による映像化は原作者の筒井たっての希望でもあったとされる[8]。数年来の構想が実現した本作はそれまで今が培ってきた演出テクニックがまとめて投入された「総決算」といった趣きのエンターテインメント作品で、主人公パプリカの造形をはじめ、今作品の中では最もキャラクター性が前面に出た「アニメらしい」作品でもある[41]。
監督デビュー