今敏
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平沢の音楽や制作への態度に多くを学び、自分の作る物語や構想は彼の影響に負うところが大きいと語っていた[20][64]。映画をフラクタル的に統御する発想は、音楽制作にフラクタルを生成させるプログラムを応用している平沢進に由来する[65][66]。また平沢の歌詞をきっかけにユング心理学や日本でのその第一人者である河合隼雄の古来から伝わる神話昔話を心理学的に読み解く著作に興味を持ち、そのことがストーリー作りや演出に大きな影響を与えた[63]。『パーフェクトブルー』から企画段階で中断している『夢みる機械』までのすべての作品は平沢進の楽曲からインスピレーションを受けている[41][67][68][69][70][71]。今の葬儀の際、出棺時には『千年女優』のテーマソングだった平沢の楽曲「ロタティオン (LOTUS-2)」が使用された[41][72]

今は、人生で触れてきた文章や絵画や音楽、映画、漫画、アニメ、テレビ、演劇などすべてのものから影響を受けていると語っている[63]。漫画なら手塚治虫大友克洋、アニメなら宮崎駿、映画なら黒澤明を始め国内外のあまたの監督の名画に多くのことを学んだ[63]

子供のころに慣れ親しんでいたのは『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』等の手塚治虫のマンガやアニメーション作品だった[9]

アニメ作品では、中学・高校の頃に当時のアニメファンが夢中になっていた『宇宙戦艦ヤマト』『アルプスの少女ハイジ』『未来少年コナン』『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』といった作品を熱心に見ていた[9][54][63][73]

大友克洋の影響は強く、特に感化された作品は『童夢』と『AKIRA』で、特に『童夢』は「読んだことのあるマンガの中で1本だけ映画を作ってもいいならそれがいいと思った」と言うほどである[9][22]。また高校生の時に大友らが始めたニューウェイブのムーブメントに影響を受け、自分で漫画を描こうという気になった[9]。それまでのマンガになかったリアリズムを湛えた作品や本来は物語の主人公には絶対になりえない人物に焦点を当てて特に何も起こらない話を圧倒的な描写力で描くというそのやり方に触れて啓蒙された[9][57]。自身の絵についても、漫画家時代に大友のアシスタントをしながら活動していたせいもあってか、絵柄にその影響を受けていると語っている[27]。また絵については、アニメ業界に入ってからはアニメーターの沖浦啓之井上俊之本田雄安藤雅司、美術設定の渡部隆などに多大な影響を受けたとしている[74]

大学に入ってからは実写映画ばかりを見ていた[22]。ほとんどの作品をビデオで見て、シーンの設定やフォーマット、演出などを参考にして漫画を描くことを日課にしていた[22]。彼が見た映画の9割はアメリカ製のもので、彼は「自分なりの映像の文体はハリウッド映画から大いに学んできた」と語っている[28][62]。ただし特定の作品や特定の監督だけに影響を受けたということはなく、見たことのある映画すべてから少しずつ影響されたのだという[22][75]。具体的な例としては『千年女優』の中で、黒澤明の『蜘蛛巣城』や小津安二郎の映画、チャンバラ物のヒーロー「鞍馬天狗」、あるいは日本の大スター 「ゴジラ」のイメージを借用しているシーンなどがあり、それと知らずに何らかの映画からイメージを借りているところもあるという[75]。あくまで映画の中の彩りという意味合いが強いそれらに対し、「千年女優」に直接的に影響を与えているのはジョージ・ロイ・ヒル監督の「スローターハウス5」(原作はカート・ヴォネガットの小説)を挙げている[28][75]。主人公を追いかけながら映画の中でさまざまな場所や時間が同時に表現されていることにとても感銘を受けたという[28]。学生時代に最も影響を受けたのも、1本の映画ではなく、テリー・ギリアムの作品群だった。ファンタジーでありながら描写は辛辣で、あらゆる点を詳細に説明するのではなく、全く別の場所に演出を移して、一つのテーマを鮮やかに描き出すところが気に入った。特に好きな彼の作品は『時の山賊』『ブラジル』『ミュンヒハウゼン男爵の冒険』[22]。ただし、今が映画作家としてその作品やそれにまつわる書籍等に最も多く目を通したのは黒澤明である[62]

小説に関しては、歴史小説の大家である司馬遼太郎の作品群に触れたことが自身と日本の関係を考える上で大きな影響があった[63]。また海外での翻訳の多い村上春樹の小説にも非常に刺激を受けた[63]。小説を読む前に映画『ブレードランナー』を見たフィリップ・K・ディックに関してはすべての作品を読んだわけではないが、好んで読む作家の一人であり、彼の影響で悪夢のイメージにとても興味を持つようになった[28][34]。『パプリカ』を監督する前から筒井康隆の作品のファンで、特に二十歳前後の頃に集中的に筒井作品を読んで大きな影響を受けたという[76]。それは、自分でもどこをどう影響されたのか分からないくらい、物を作るための根本的な部分での影響だったという[76]。筒井康隆作品の魅力は「常識からの逸脱」、つまり常識外のものを常識的に組み合わせる、あるいは常識内のものを非常識な仕方で組み合わせるような捩れにこそあるという。彼が筒井の諸作品に学んだことは、「常識という枠組みを疑え」ということ。多くの人が共有しているであろう常識内で世界観を構築したところで、結局は常識の範囲にとどまるものにしかならないからである[63]
評価

日本国内だけでなく、その功績は海外からも高い評価を受け、世界中に数多くのファンを持つ[19][77]。2010年に46歳の若さで他界した際、その衝撃は日本のみならず世界に広がり、ロサンゼルス・タイムズがサイトのトップで顔写真を添えて訃報を伝え、ニューヨーク・タイムズも長文の追悼記事を掲載した[38]。その評価の高さは、米タイム誌が発表した「2010年を代表する人」特集のFond Farewells部門(同年に亡くなった人を紹介する部門)で、J・D・サリンジャーなどと並んで選出されたことでもうかがえる[19][77]。国内外の歴代名作映画のランキングにたびたび作品が挙がるのもその1つ。2008年の米国ニューズウィーク誌日本版が選んだ歴代映画ベスト100には『パプリカ』が日本アニメから唯一選ばれた[78]。2014年の英国の名門映画雑誌「トータルフィルム」による歴代アニメーション映画ベスト75には『パーフェクト ブルー』『千年女優』『東京ゴッドファザーズ』と3作品もラインアップされた[78]


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