今敏
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これはレイアウト担当として信用できるアニメーターを揃えられなければ成立しない手法でもあるため、前作では2人だった人員を6人に増やし、その一人として今も選ばれた[17]

1993年から1994年に制作されたOVAジョジョの奇妙な冒険』(北久保弘之監督)の第5話「花京院 結界の死闘」では脚本・絵コンテ・演出・構成も手掛け、演出家デビューを果たす[18][22]。全体的に評価の高かったこのOVAシリーズの中でも傑出したエピソードとして「今 敏」の名前を強烈に印象づけた[18]

1994年から押井守が原作を担当し、今が作画を担当する漫画『セラフィム 2億6661万3336の翼』が月刊アニメ誌「アニメージュ」で連載される。しかし、連載が進むにつれて2人の間に意見の齟齬が生まれて休載、そのまま未完に終わった[17][23]。押井との対立により、連載開始から1年以上経過したころには、押井の表記は原作ではなく原案に変更されていた[24]。しかし押井は2019年に今について「最高のパートナー」であったと言及している[25]。1996年に今は漫画家としての活動を終え、アニメ制作に専念することになる[26]
監督デビュー

1997年、劇場用アニメ『PERFECT BLUE』で監督デビューを果たす[27][28]。きっかけは、映画の制作会社マッドハウス丸山正雄からさそわれたこと[20]。漫画家時代からそれまでの今の仕事をチェックしていた丸山は、「ジョジョの奇妙な冒険」で今が担当した回を気に入っていた[20][29]。企画段階での「『アイドル』『ホラー』『ストーカー』の3要素を織り交ぜる」という竹内義和の原作に基づいたシナリオに今が満足せず、竹内の同意を得てから村井さだゆきの協力によりシナリオが全面的に書き換えられた[30][31]。猟奇的なモチーフも盛り込んだ当時のアニメ映画としてはかなりの異色作だったが、高い評価を獲得。特に海外での成功は、後のグローバルでの今の評価につながった[18]

『PERFECT BLUE』の後、以前からファンであった筒井康隆の小説『パプリカ』(1993年発表)の映画化を考えていたが、『PERFECT BLUE』の配給会社の倒産によって計画が頓挫[32]。新たなオリジナル作品の制作に取り掛かる[30]

2002年、『千年女優』が劇場公開される[33]。『PERFECT BLUE』と同程度の低予算で製作されたが(概算で1億2,000万円)[34]、前作以上の成功を収め、多くの賞に輝いた。北米公開の配給会社はドリームワークス系のゴー・フィッシュ・ピクチャーズが担当、日本アニメには珍しく大手映画会社が関わった[35]。本作は今が長年のファンであった音楽家平沢進との初タッグを組んだ作品で[36]、以降の作品でも音楽を担当している。

2003年、『東京ゴッドファーザーズ』が劇場公開。北米公開はソニー・ピクチャーズ系のデスティネーション・フィルムズが担った[35]。またこの作品からセルアニメではなく、デジタルアニメとなった[37]

2004年、初にして唯一のTVシリーズとなる『妄想代理人』を製作[38]。数々の社会的なテーマも取り入れられ[39]、映画では吸い上げることが出来なかった今が日頃から温めていたアイデアが再表現されている[40]

2006年、最後の長編作品となる『パプリカ』が劇場公開される。かねてから計画を温めていた作品であり、今による映像化は原作者の筒井たっての希望でもあったとされる[8]。数年来の構想が実現した本作はそれまで今が培ってきた演出テクニックがまとめて投入された「総決算」といった趣きのエンターテインメント作品で、主人公パプリカの造形をはじめ、今作品の中では最もキャラクター性が前面に出た「アニメらしい」作品でもある[41]。今は本作でも物語の要約だけではなく独自の解釈を加え、「基本的なストーリー以外は全て変えた」とコメントしている[42]。この作品も成功を収め、様々な映画祭で賞に輝いた。

2007年にNHKで放送された『アニ*クリ15』に参加。押井守や新海誠らの作品とともに、寝起きの女性の様子をスケッチした1分間の短編『オハヨウ』が放送された[41]。同年、日本アニメーター・演出協会(JAniCA)の設立に参与する[43]。2008年から死去するまでの2年半の間、母校の武蔵野美術大学映像学科アニメーション分野の客員教授を務める[12]
晩年?死去

その後、今は次回作として「3台のロボットの冒険を描く子ども向け映画」という長編『夢みる機械』の制作に着手[41]。今が初めて企画する子どもも楽しめるアニメ映画ということで、その内容は「地球上に住んでいるのはロボットのみとなった未来を舞台に、津波によって楽園から追い出される格好となったリリコとロビンの2体のロボットが「電気の国」を目指して旅をする姿を描く」というものだった[44]。しかし、その制作途中で病に倒れる。

2010年に体調を崩し[45]、5月に病院で診断を受けたところ末期の膵臓癌と診断される[46]。余命半年と宣告された後は、著作権管理会社の設立・遺言状の作成・在宅死の準備など、身の回りの整理をしながら[46]亡くなる前日までブログも更新していた(但し、存命中は自分が病気であることは伏せている)。

2010年8月24日逝去[1]。46歳没[1][46]。翌日付のブログに、「さようなら」というタイトルで生前に書き留めていたファンに向けてのメッセージが公開され[45]、約40万PVのアクセス数を集めた[47]。関係者向けに開かれた「今 敏監督を送る会」には今の作品に関わった鈴木慶一や平沢進らが出席した。
遺作『夢みる機械』について

同2010年11月、今の作品を制作してきたアニメスタジオ、マッドハウスが未完に終わった『夢みる機械』の制作続行を正式に発表[44][48]。作画監督の板津匡覧が監督代行を務めることも併せて発表された[44][49]。しかし、2011年に金銭的な理由でプロジェクトは中断してしまった[50]。今の劇場作品をすべてプロデュースした丸山正雄はその後も4、5年ほどプロジェクトを続行しようと粘り続け、2012年時点では「2017年までに映画を完成させるための資金を集めるつもりだ」と語っていた[29][51]

しかし、その後は資金の問題よりも「誰が今敏の才能を引き継ぐことができるか」という問題に直面[50]。のちに丸山は、「今の日本のアニメ界にはテイストの違った優秀な監督はいるが、今監督と同じ力量を持つ監督がいない。今のところ今以外では考えられず、プロジェクトを凍結してプランのままで終わらせるしかなかった」「今監督は『夢みる機械』の脚本と絵コンテ、フィルムの一部までを残していた。


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