今敏
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今 敏(こん さとし、1963年10月12日[1] - 2010年8月24日[2])は、日本アニメ監督[3]漫画家[3]。鰐淵 良宏(わにぶち よしひろ)の名義を使用することもある。アニー賞生涯功労賞(ウィンザー・マッケイ賞)受賞者[4]

日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員[5]

PANTA& HAL、PARACHUTEなどの活動で知られるギタリスト今剛は実兄[6]

新作『夢みる機械』準備中の2010年8月24日に膵臓癌で死去[1]。享年46[1]
来歴
生い立ち

北海道釧路市(出生地は札幌市)出身[7]。父の転勤により4歳から小学4年生までを釧路、小学4年生から中学2年生までを札幌、中学3年生から高校3年生までを再び釧路で過ごす。漫画家の滝沢聖峰は札幌時代の小中学校の同級生である。釧路で過ごした高校時代と上京後の生活とのギャップは、後年の作品の主要テーマである「イマジネーションと現実の融合」の形成に少なからぬ影響を与えたという[8]

高校生の時、日本のコミックシーンのその当時のちょっとしたブームであったニューウェイブに影響されて読むだけでなく自分で漫画を描こうという気になった[9]北海道釧路湖陵高等学校卒業後、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に進学[1]、グラフィックを専攻し卒業[1]
漫画家デビュー

大学在学中の1984年、『虜 -とりこ-』で『週刊ヤングマガジン』(講談社)の第10回ちばてつや賞(ヤング部門)優秀新人賞を受賞し[10][11]、1985年にちばてつや賞佳作を受賞した『カーヴ』で漫画家としてデビューを果たす[1][12]。これをきっかけに、大友克洋アシスタントとして働くことになった[11][13]

1987年に大学を卒業すると[14]、1990年に『週刊ヤングマガジン』(講談社)で発表された『海帰線』で初の連載となる[12][15]。1991年には大友が初監督した実写映画コミカライズ作品である『ワールドアパートメントホラー』などを発表[11][16]
アニメ業界へ

1991年、大友が原作・脚本を手掛けたアニメ『老人Z』(監督は北久保弘之)で初めてアニメ製作に携わる[17]。作品では美術設定・レイアウト原画を担当した[11][18][19]

1992年ごろから大友監修のオムニバスアニメ映画MEMORIES』(1995年公開)の中の「彼女の想いで」(森本晃司監督)に脚本・美術設定・レイアウトとして参加するが[11]、その役職以上に作品全体で今の果たした役割が大きかったとされている[18][20]。当初はキャラクターデザインも担当する予定だったが、ラフスケッチだけにとどまった[20]。また、この作品で今は初めて「イマジネーションと現実の融合」を作品のテーマとして取り入れた[20][21]

1993年、押井守監督の『機動警察パトレイバー 2 the Movie』にレイアウト担当の一人として参加する。押井は前作『機動警察パトレイバー the Movie』の時に、レイアウトを精度高く描くことで空間感を表現し、演出家の意図を徹底するという演出法に挑戦した。これはレイアウト担当として信用できるアニメーターを揃えられなければ成立しない手法でもあるため、前作では2人だった人員を6人に増やし、その一人として今も選ばれた[17]

1993年から1994年に制作されたOVAジョジョの奇妙な冒険』(北久保弘之監督)の第5話「花京院 結界の死闘」では脚本・絵コンテ・演出・構成も手掛け、演出家デビューを果たす[18][22]。全体的に評価の高かったこのOVAシリーズの中でも傑出したエピソードとして「今 敏」の名前を強烈に印象づけた[18]

1994年から押井守が原作を担当し、今が作画を担当する漫画『セラフィム 2億6661万3336の翼』が月刊アニメ誌「アニメージュ」で連載される。しかし、連載が進むにつれて2人の間に意見の齟齬が生まれて休載、そのまま未完に終わった[17][23]。押井との対立により、連載開始から1年以上経過したころには、押井の表記は原作ではなく原案に変更されていた[24]。しかし押井は2019年に今について「最高のパートナー」であったと言及している[25]。1996年に今は漫画家としての活動を終え、アニメ制作に専念することになる[26]
監督デビュー

1997年、劇場用アニメ『PERFECT BLUE』で監督デビューを果たす[27][28]。きっかけは、映画の制作会社マッドハウス丸山正雄からさそわれたこと[20]。漫画家時代からそれまでの今の仕事をチェックしていた丸山は、「ジョジョの奇妙な冒険」で今が担当した回を気に入っていた[20][29]。企画段階での「『アイドル』『ホラー』『ストーカー』の3要素を織り交ぜる」という竹内義和の原作に基づいたシナリオに今が満足せず、竹内の同意を得てから村井さだゆきの協力によりシナリオが全面的に書き換えられた[30][31]。猟奇的なモチーフも盛り込んだ当時のアニメ映画としてはかなりの異色作だったが、高い評価を獲得。特に海外での成功は、後のグローバルでの今の評価につながった[18]

『PERFECT BLUE』の後、以前からファンであった筒井康隆の小説『パプリカ』(1993年発表)の映画化を考えていたが、『PERFECT BLUE』の配給会社の倒産によって計画が頓挫[32]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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