今敏
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1991年、大友が原作・脚本を手掛けたアニメ『老人Z』(監督は北久保弘之)で初めてアニメ製作に携わる[17]。作品では美術設定・レイアウト原画を担当した[11][18][19]

1992年ごろから大友監修のオムニバスアニメ映画MEMORIES』(1995年公開)の中の「彼女の想いで」(森本晃司監督)に脚本・美術設定・レイアウトとして参加するが[11]、その役職以上に作品全体で今の果たした役割が大きかったとされている[18][20]。当初はキャラクターデザインも担当する予定だったが、ラフスケッチだけにとどまった[20]。また、この作品で今は初めて「イマジネーションと現実の融合」を作品のテーマとして取り入れた[20][21]

1993年、押井守監督の『機動警察パトレイバー 2 the Movie』にレイアウト担当の一人として参加する。押井は前作『機動警察パトレイバー the Movie』の時に、レイアウトを精度高く描くことで空間感を表現し、演出家の意図を徹底するという演出法に挑戦した。これはレイアウト担当として信用できるアニメーターを揃えられなければ成立しない手法でもあるため、前作では2人だった人員を6人に増やし、その一人として今も選ばれた[17]

1993年から1994年に制作されたOVAジョジョの奇妙な冒険』(北久保弘之監督)の第5話「花京院 結界の死闘」では脚本・絵コンテ・演出・構成も手掛け、演出家デビューを果たす[18][22]。全体的に評価の高かったこのOVAシリーズの中でも傑出したエピソードとして「今 敏」の名前を強烈に印象づけた[18]

1994年から押井守が原作を担当し、今が作画を担当する漫画『セラフィム 2億6661万3336の翼』が月刊アニメ誌「アニメージュ」で連載される。しかし、連載が進むにつれて2人の間に意見の齟齬が生まれて休載、そのまま未完に終わった[17][23]。押井との対立により、連載開始から1年以上経過したころには、押井の表記は原作ではなく原案に変更されていた[24]。しかし押井は2019年に今について「最高のパートナー」であったと言及している[25]。1996年に今は漫画家としての活動を終え、アニメ制作に専念することになる[26]
監督デビュー

1997年、劇場用アニメ『PERFECT BLUE』で監督デビューを果たす[27][28]。きっかけは、映画の制作会社マッドハウス丸山正雄からさそわれたこと[20]。漫画家時代からそれまでの今の仕事をチェックしていた丸山は、「ジョジョの奇妙な冒険」で今が担当した回を気に入っていた[20][29]。企画段階での「『アイドル』『ホラー』『ストーカー』の3要素を織り交ぜる」という竹内義和の原作に基づいたシナリオに今が満足せず、竹内の同意を得てから村井さだゆきの協力によりシナリオが全面的に書き換えられた[30][31]。猟奇的なモチーフも盛り込んだ当時のアニメ映画としてはかなりの異色作だったが、高い評価を獲得。特に海外での成功は、後のグローバルでの今の評価につながった[18]

『PERFECT BLUE』の後、以前からファンであった筒井康隆の小説『パプリカ』(1993年発表)の映画化を考えていたが、『PERFECT BLUE』の配給会社の倒産によって計画が頓挫[32]。新たなオリジナル作品の制作に取り掛かる[30]

2002年、『千年女優』が劇場公開される[33]。『PERFECT BLUE』と同程度の低予算で製作されたが(概算で1億2,000万円)[34]、前作以上の成功を収め、多くの賞に輝いた。北米公開の配給会社はドリームワークス系のゴー・フィッシュ・ピクチャーズが担当、日本アニメには珍しく大手映画会社が関わった[35]。本作は今が長年のファンであった音楽家平沢進との初タッグを組んだ作品で[36]、以降の作品でも音楽を担当している。

2003年、『東京ゴッドファーザーズ』が劇場公開。北米公開はソニー・ピクチャーズ系のデスティネーション・フィルムズが担った[35]。またこの作品からセルアニメではなく、デジタルアニメとなった[37]


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