仁義なき戦い_広島死闘篇
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山中と上原靖子(梶芽衣子)の哀しい恋物語は本来は被差別部落の問題が入っていて、笠原も自身が本作でやりたかった主題で「もっと二人の悲しみが伝えられたのにと思ったが、出来ずに口惜しかった」と述べている[25]
出演者

当時の千葉真一ブロマイドの売上げが4年連続No.1であり[7][8][26]、大友勝利の言動は「オメコの汁でメシ食うとるんで」など過激なものばかりであった。そのため千葉は悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、サングラスを常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した[7][8][27]。金玉を掻くシーンでは、深作から「やれ!」と強制されて行った後に、勢い余って臭いを嗅いだら「やりすぎ」と言われた[26]。映画の後半に「山中に銃口を向けられるシーンでは、慌てふためきダンボールで自分の顔を隠すように掲げる」という台本にないアドリブをやった[26]。「相手に自分の顔が見えると撃たれてしまう」と人間のとった、とっさのバカげた行動が、よりリアリティを生んだ瞬間だった[26]。千葉は「こういうのは役者冥利に尽きる[26][28]」、「大友を演じたことにより、脇役悪役にも興味を持ち始めた。私の中で大きな転機となった[7][8][29]」と語っている( ⇒ #解説千葉真一#転機仁義なき戦い#出演者)。

北大路欣也は第一部を仕事先で観て共鳴。シリーズ化の決定を知り、自ら出演を直訴したものの[30]、上述の通り当初キャスティングされた役を拒み、東映幹部に仲介させ、千葉真一と配役を交換させている[6]。北大路が千葉とのキャスト入れ換えを要求したのはこれが初めてでなく、1963年の映画『海軍』に続いて2度目となるが、北大路は戦前からの大スターで東映の役員を兼務していた市川右太衛門の御曹司であることから、東映は北大路の意向を幾度となく受け入れてきた[6]
その他

予告編のBGMには、『三池監獄 兇悪犯』と『日本暴力団 殺しの盃』、『仁義なき戦い』の一部が使われている。

2005年衆議院議員総選挙菅原文太は広島6区に出馬した国民新党亀井静香の応援に登場し、同じく広島6区に出馬した対立候補の堀江貴文を@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}批判。「向こう(堀江陣営)は仁義なき戦いをしているが、こちらは仁義ある戦いをしましょう」と亀井を激励した。このニュースは本作をなぞらえて各メディアから「広島死闘篇」と呼ばれた。[要出典]
ビデオ

仁義なき戦い#ビデオとテレビ放映」を参照。
脚注[脚注の使い方]
注釈
^ 最後のシーンで大友勝利(千葉真一)の髪が赤く、顔もすごく日焼けしているのは、本作品の撮影途中で同年に公開された『ボディガード牙シリーズ』の撮影にも入っていたためである[20]
^ 深作欣二2001年11月3日に行われた母校・日本大学芸術学部学園祭に招かれた時に、そのトークショーで「山中の自殺が、脚本通りではなく変更された理由は?」という質問への回答。

出典
^ a b c東映キネマ旬報 2009年冬号 Vol.13 10-11頁
^ a b 「鎧を着ている男たち」 徳間書店、1987年6月、232 - 234頁。
^ a b c 千葉真一『千葉流 サムライへの道』ぶんか社、2010年、40頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4821142694。 
^ 千葉流 サムライへの道、42頁。
^ a b c 千葉流 サムライへの道、41頁。
^ a b c d e f 「千葉真一、深作欣二の初時代劇の教えに感謝」『アサ芸+』、徳間書店、2012年11月28日、2012年11月29日閲覧。


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