人類のゆりかご
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タウング頭蓋化石出土地 (Taung Skull Fossil Site ; ID 915-003) はノース・ウェスト州タウング(英語版) の遺跡で、登録範囲は158.742905 ha、緩衝地域は3387 haである[17]。マカパン渓谷とともに2005年に拡大登録された。世界遺産に登録されている洞窟はウィットランス洞窟 (Wittrans Cave)、ブラック・アース洞窟 (Black Earth Cave)、エクウス洞窟 (Equus Cave)、パワー・ハウス洞窟 (Power House Cave) の4箇所で、 その中がさらに19地区に分類できる[54]

レイモンド・ダートアウストラロピテクス・アフリカヌスの模式標本に指定したタウング・チャイルド(英語版)の発見地であるが、ダート自身が掘り出したわけでないという発見の経緯から、正確な発掘地がどこだったのか特定されていない[61]。過去の発掘地特定や胴体部分の化石探求の試みはすべて失敗してきた[62]。ただし、2006年になって、胴体が見つからない理由について、新しい仮説が提起された。前出のリー・バーガーはタウング・チャイルドの再検討の中で、いくつもの傷のつき方が、現代の霊長類ワシに捕らわれたときのそれと酷似していることに気づいた。このことからバーガーは、タウング・チャイルドはワシの犠牲になった猿人の頭部だけが、石灰岩地形の割れ目に落ち込んだものだろうと主張した[63]
登録経緯

アパルトヘイト政策がとられていた時代の南アフリカ政府は、概して古人類学の研究に冷淡で、進化論を否定し、公教育の場で扱うことも禁止していたという[64]。しかし、1990年代に入り、アパルトヘイトが廃止されるのにあわせて、「悪魔の仕業」と忌避されていた化石人骨を「国家の誇り」として再評価する動きがおこった[65]

南アフリカ共和国の世界遺産条約締約は1997年7月のことで[66]、人類化石遺跡群は翌年に推薦された[67]。それに対し、世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS) は1999年に「登録」を勧告し[68]、その年の世界遺産委員会で正式に登録が決議された。1999年は最初に南アフリカ共和国の世界遺産が登録された年であり、ロベン島、グレーター・セント・ルシア湿地公園(現イシマンガリソ湿地公園)とともに南アフリカ初の世界遺産となった。

2004年にはタウングの洞窟群とマカパン渓谷が拡大登録を目指して推薦された。このときもICOMOSは翌年に拡大登録を承認するよう勧告しており[69]、問題なく拡大登録が決まった[70]。その時点で新しい登録名が検討されていたのだが[70]、実際の変更は2013年になってからのことだった。
登録名

当初の登録名は Fossil Hominid Sites of Sterkfontein, Swartkrans, Kromdraai, and Environs (英語)、Sites des hominides fossiles de Sterkfontein, Swartkrans, Kromdraai et les environs (フランス語)であり、これは2005年に拡大登録されたときにも変わらなかった。その日本語訳は、主に地名の表記の点で、文献によってかなりの揺れが存在していた。

スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライの人類化石遺跡群及び周辺地域 - 日本ユネスコ協会連盟
[71]

日本ユネスコ協会連盟の訳は「スタークフォンテン、スワークランズ、クロムドライおよび周辺地域の人類化石遺跡」[72]、「スタークフォンテイン、スワートクランス、クロムドラーイ及び周辺地域の人類化石遺跡」[73]、「スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライ及び周辺地域の人類化石遺跡」[74]、「スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライ及び周辺地域の人類化石遺跡群」[75]と、小刻みな変更を繰り返してきた。


スタークフォンテン、スワークランズ、クロムドラーイと周辺の人類化石遺跡 - 古田陽久[76]

スタークフォンテン、スワークランズ、クロムドラーイ及び周辺地域の人類化石遺跡 - 世界遺産なるほど地図帳[77]

スタークフォンティン、スワートクランズ、クロムドライ及び周辺地域の人類化石遺跡群 - なるほど知図帳[78]

スタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドラーイ及び周辺地域の人類化石遺跡 - 世界遺産アカデミー[79]

かつては「スタークフォンテン、スワークランズ、クロムドラーイ及び周辺地域の人類化石遺跡」と訳していた[80]


スタークフォンテイン、スワートクランス、クロムドラーイ及び周辺地域の人類化石遺跡 - 地球の歩き方MOOK[81]

スタークフォンテイン、スワートクランス、クロムドラーイ地区の人類化石遺跡 - ビジュアルワイド世界遺産[82]

ステルクフォンテーン、スワルトクランス、クロムドライおよび周辺地域の人類化石出土地 - ブリタニカ国際大百科事典[83]

南アフリカの人類化石遺跡 - 21世紀世界遺産の旅[84]

上記の『21世紀世界遺産の旅』のように地名を逐一訳さずに要約的に示した文献は例外的なものであったが、2013年には正式名が Fossil Hominid Sites of South Africa (英語)、Sites des hominides fossils d’Afrique du Sud (フランス語)と改名された。改名後に出された文献での表記例としては以下のものがある。

南アフリカ人類化石遺跡群 - 日本ユネスコ協会連盟[85]

南アフリカの人類化石遺跡 - 成美堂出版編集部[86]

南アフリカの人類化石遺跡群 - 古田陽久[87]

ただし、2013年末に出た世界遺産アカデミーの文献のように、改名後にも旧称を使い続けている文献もある[88]
登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

南アフリカ当局は、当初どの推薦基準に該当するのかを明示していなかったが、ICOMOSは基準 (3) と (6) を適用できるとの見解を示し[89]、世界遺産委員会でもその判断が踏襲された。基準 (3) は人類の起源の解明に寄与する重要な遺跡群であることに対して、基準 (6) は人類の進化のかなり早い段階の歴史と密接に結びついていることに対して、それぞれ適用された[90]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 世界遺産登録資産は大抵、世界遺産センターの概要ページに面積の記載があるが、この資産についてはそれがないので、 ⇒Fossil Hominid Sites of South Africa - Multiple Locationsに掲載された個別資産の面積を合計して示した。緩衝地域も同じ。
^ 登録名及び拡大登録資産名に出てくるスタルクフォンテイン、スワルトクランス、クロムドライ、マカパンスガット、タウングの5件は古人類学者による文献である諏訪 (2006) の表記に従う。諏訪 (2006) に見られない他の地名は、適宜ほかの文献にも依拠した。世界遺産関連書籍などでの登録名表記の揺れは#登録名の節を参照のこと。
^ ブルームはそれをアウストラロピテクスとは別種の「プレジアントロプス・トランスヴァーレンシス」(Plesianthropus transvaalensis) と名づけていたが、現在ではアウストラロピテクス・アフリカヌスと認識されている(河合 (2010) p.109)。
^ 「プレス」という名は、前述の種名「プレシアントロプス・トランスヴァーレンシス」の最初の4文字に由来している(河合 (2010) p.113)。
^ リトル・フット発見のきっかけになった足骨だけは、全身像の発見より先の1995年に、論文が公表されている。そこでは足骨の構造がアウストラロピテクス・アファレンシスよりも原始的とする分析が示されたが、否定的な見解もある(諏訪 (2002) pp.826-827)。
^ 発見者のバーガーはもともとアウストラロピテクス・アフリカヌスが人類進化の傍流ではなく、本流に近いか本流そのものに位置しているという立場だった(cf. バーガー (1998))。


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