人類のゆりかご
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その後も、後続の学者たちによってスタルクフォンテインの発掘は続けられ、主に260万年前から150万年前までと見られる層から、670個体分の化石人骨(ほとんどがアウストラロピテクス・アフリカヌス)が出土している[22]

だが、それら以上に重要なのがリトル・フット(英語版)の発見である。その全身骨格はルーシーセラムトゥルカナ・ボーイなどに匹敵する保存状態のよさを備えていると見られている。ただし、この化石は1997年に発見されたものの、2010年時点でも角礫岩の層からの慎重な取り出し作業が続いており、全身像の復元ができておらず、正確な種の特定にも至っていない[23][注釈 5]。年代も後述する南アフリカの化石出土地特有の複雑な事情があるせいで、古ければ400万年前、新しければ220万年前とかなりの幅がある[23]。取り出し作業が終了した暁には、化石人骨の中で最も多くの部位が残存している標本となることが期待されている[24]
スワルトクランス1950年にスワルトクランスで出土したパラントロプス・ロブストゥス(SK48)の頭蓋骨

スワルトクランス(英語版)は、スタルクフォンテインから西南西1.2 kmほどの場所にある[25]

ロバート・ブルームとその助手ジョン・ロビンソン(英語版)は1948年11月に、スタルクフォンテインとクロムドライに加えて、スワルトクランスの発掘作業を開始した[26]。まもなく出土した臼歯のついた頑丈な下顎骨について、ブルームは新種とみなして「パラントロプス・クラシデンス」と命名した(現在ではパラントロプス・ロブストゥスと見るのが一般的)[26]

さらに、1949年にはまったく別種の化石人骨が出土し、ブルームは「テラントロプス・カペンシス」と命名した[27]。これはのちに、ロビンソンによってホモ・エレクトゥスと同定しなおされ[28]、実際、それかホモ・ハビリスと同一視されているが、ヒト属がアウストラロピテクス属と同じ時代に生存していたことが確認された最初の例であった[12]。なお、スワルトクランスの化石は断片的なものばかりで、首から下の骨の出土例はまれである[29]。これに関する研究は、ダートの「骨歯角文化」説(後述)の否定材料のひとつになった[29]

1951年にブルームが没し、ロビンソンもその出土品群の整理に終われるようになると、スワルトクランスの発掘作業は中断された[30]。1966年に発掘作業を再開したチャールズ・ブレイン(英語版)は、いくつかの重要な業績を上げた。ひとつめは、スワルトクランスの成り立ちを復元し、5層に分類した地層のおおよその年代を特定したことである。彼によれば、スワルトクランス第1層はおよそ180万年前から150万年前、第2層と第3層はおよそ150万年前から100万年前で、第4層と第5層はそれよりも新しい[31]。かなり幅のある推定になるのは、南アフリカの化石出土地帯が石灰岩で、保存状態の良好な化石も出る反面、鍾乳洞の天井崩落やそこに落ち込んだ堆積物の重なりなどが非常に複雑な地層を形成していることが一因である。また、火山が近くにないため、東アフリカの化石出土地帯で一般的な、火山灰をアルゴン - アルゴン法にかけるという信頼性の高い手法も使えない分、狭く絞り込んだ年代推定が難しいのである[31]

ブレインのもうひとつの業績は、第1層・第2層と違い、第3層には火の使用痕があることを突き止めた点である。彼は第3層から出土する獣の骨に、野火で焼けた場合と異なる例が270点あることを認識し、さらにそれらが、人の手を介さずに死んだ骨だとしたら不自然な形で分布していることを根拠に挙げた[32]。第3層からはヒト属の骨は出土していないが、それより下層でヒト属の出土例があることから、火の管理をしたのはヒト属だったと推測されている[33]。これは、ヒトによる火の使用が確実視できる最古の例である[33]

なお、スワルトクランスではシロアリを食べるときなどに使ったのではないかと考えられている尖った先端を持つ骨角器も見つかっている。これは、後述するドリモレンでも出土した[34]
クロムドライクロムドライ(2007年)

クロムドライ(英語版)はスタルクフォンテインから東北東に1.6kmの位置にある[25]。クロムドライは鍾乳洞としても有名である。

この遺跡の存在は、1938年に知られるようになった[35]。ブルームが前述の現場監督バーローから新しい化石を購入した際[35]、それは地元の小学生がもたらしたものだと聞くと、その小学生ジャール・トゥルブランシュに会いに小学校に赴いた。そして、トゥルブランシュの道案内で、クロムドライの化石出土地域にたどり着いたのである[36]。ブルームはそこで追加発見された断片や、トゥルブランシュが持っていた断片もあわせて復元を行い、それが従来の化石人骨とは別種のものであると判断し、「パラントロプス・ロブストゥス」と命名した[37]。ただし、現在ではアウストラロピテクス・ロブストゥスと分類する論者もいる[38]。いずれにせよ、この種が見つかったのはクロムドライが初めてである[39]

パラントロプス・ロブストゥスはいわゆる「頑丈型」の猿人で、これらの南アフリカの遺跡群の調査・発見を踏まえて、猿人には頑丈型とアウストラロピテクス・アフリカヌスなどの「華奢型」の2種が存在したことが、1950年代までには明らかになっていた[40]
周辺地域

1999年の世界遺産登録で「周辺地域」として登録対象となったのは、ドリモレン(英語版)、ゴンドリン(英語版)、グラディスヴェール(英語版)などである[41]。前二者では1990年代になってパラントロプス・ロブストゥスが相次いで発見された[15]。ドリモレンでは1992年の発見以来、すでに100個体分のパラントロプス属の化石が出土しており、その中にはほぼ完全なメス頭蓋などが含まれている[42]。また、ヒト属の化石も見つかってはいるが、数はかなり少ない。そのため、180万年前から150万年前と推測されるその時期、東アフリカではヒト属が優勢になっていたのに対し、南アフリカで優勢だったのはパラントロプス属の方だったのだろうと考えられている[43]マラパで化石を手にするマシュー・バーガー

グラディスヴェールはスタルクフォンテインから8 km ほどの場所にある遺跡で、1948年には探索が行われていたが[44]、化石人骨の出土は1992年になってのことだった[45]。この地で調査に当たっていた古人類学者リー・バーガー(英語版)は、アウストラロピテクス・アフリカヌスの断片を見つけるにとどまっていたという[46]。しかし、バーガーは2008年8月にヨハネスブルグからグラディスヴェールに向かう大きな道を数 km 手前で脇に逸れ、グーグル・アースで見当をつけていた近隣の石灰石採掘場跡に赴いた。その場所で彼は9歳の息子マシューとともに、新種の猿人化石を発見した[47]。新種はメスの成体とオスの少年が近接して発見され、親子などの可能性も指摘されている[48]。後にバーガーが「マラパ」(ソト語で「屋敷」の意味[46])と命名したその遺跡のある一帯も、世界遺産登録範囲内である[49]

バーガーたちがまとめた調査結果は、『サイエンス』2010年4月8日号に掲載された[49]。バーガーは新種の化石を「アウストラロピテクス・セディバ」(セディバはソト語で「水源」[50])と命名し、現生人類につながるホモ属の先祖だった可能性があると位置づけた。


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