人類のゆりかご
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彼は1936年にスタルクフォンテインで発掘を開始し、アウストラロピテクス・アフリカヌスの化石を発見し、1938年に発掘を始めたクロムドライではパラントロプス・ロブストゥスを発見した[11]。さらに1948年にはスワルトクランスの発掘にも着手し、アウストラロピテクスだけでなくヒト属の化石も発見し、それらが同時代に生息していたことをはじめて示した[12]

こうした一連の発見に触発されたダートも1947年から発掘を再開し、マカパンスガットでアウストラロピテクスが獣の骨を武器にして争いあい、野蛮な生活を送っていたとする「骨歯角(こっしかく)文化」の痕跡を見つけたと主張していた。彼のこうした主張はまったくの謬見として後に否定されることになるが[13]、マカパンスガットそれ自体は、南アフリカでも最古の部類に属する層を含む化石出土地と認識されている[14]

1990年代以降もドリモレン、ゴンドリンといった新たな化石出土地域が見つかり、多くの化石人骨が出土している[15]。2008年にはグラディスヴェールに近い石灰石採掘場跡(のちにマラパと命名)で、新種のアウストラロピテクス・セディバが発見され、人類進化の中でどのように位置づけるべきか、議論を呼んでいる[16]
構成資産

世界遺産の構成資産は、1999年に登録された「スタルクフォンテイン、スワルトクランス、クロムドライおよび周辺地域」、2005年に拡大登録された「マカパン渓谷」、「タウング頭蓋化石出土地」の3件に分類されている[17]
スタルクフォンテイン、スワルトクランス、クロムドライおよび周辺地域

「スタルクフォンテイン、スワルトクランス、クロムドライおよび周辺地域」(Sterkfontein, Swartkrans, Kromdraai, and Environs ; 世界遺産 ID 915-001) は1999年に登録されたハウテン州クルーガーズドルプ(英語版)の地域で、登録範囲は25000 ha、緩衝地域は28000 haである[17]
スタルクフォンテインスタルクフォンテイン洞窟内にある地底湖の様子ミセス・プレスロバート・ブルーム

スタルクフォンテイン(英語版)の洞窟群はヨハネスブルグから北西に約35 kmに位置し[18]、行政府プレトリアからもそれほど遠くない[19]。この洞窟群は1896年に金鉱山の探索者によって発見されたが[18]、それ以来、石灰岩の採掘場になっていた[19]

レイモンド・ダートによる初のアウストラロピテクス属であるタウング・チャイルドの公表(1925年)は、当時ほとんど受け入れられなかった。しかし、例外的にその意義を認めていた古生物学者ロバート・ブルームは、ダートの研究室に事前連絡なしに押しかけ、ダートには目もくれず、タウング・チャイルドの前でひざまずくという行為に出たという[20]。ブルームは1936年に、その縁で面識のあったダート研究室の学生からスタルクフォンテインで化石が出る(従来から動物の化石が出るという話が知られていた)と聞いて現地を訪れ、石灰石の採掘現場の監督ジョージ・バーローに化石を探しておいてほしいと依頼した。そして再訪した同年8月に渡された化石こそが、アウストラロピテクスの化石断片であった[21][注釈 3]

スタルクフォンテインでの調査は第二次世界大戦などの影響で一時中断したが、1947年に再開された。このときの調査では、ほぼ完全なアウストラロピテクス・アフリカヌスのメス成体と見られる頭蓋骨化石が発見された。「ミセス・プレス」 (Mrs. Ples)[注釈 4]との愛称が与えられたこの化石は、スタルクフォンテインの名を広く知らしめた[18]。ミセス・プレスが発見された時点でブルームは80歳になっており、84歳で没することになる。

その後も、後続の学者たちによってスタルクフォンテインの発掘は続けられ、主に260万年前から150万年前までと見られる層から、670個体分の化石人骨(ほとんどがアウストラロピテクス・アフリカヌス)が出土している[22]

だが、それら以上に重要なのがリトル・フット(英語版)の発見である。その全身骨格はルーシーセラムトゥルカナ・ボーイなどに匹敵する保存状態のよさを備えていると見られている。ただし、この化石は1997年に発見されたものの、2010年時点でも角礫岩の層からの慎重な取り出し作業が続いており、全身像の復元ができておらず、正確な種の特定にも至っていない[23][注釈 5]。年代も後述する南アフリカの化石出土地特有の複雑な事情があるせいで、古ければ400万年前、新しければ220万年前とかなりの幅がある[23]。取り出し作業が終了した暁には、化石人骨の中で最も多くの部位が残存している標本となることが期待されている[24]
スワルトクランス1950年にスワルトクランスで出土したパラントロプス・ロブストゥス(SK48)の頭蓋骨

スワルトクランス(英語版)は、スタルクフォンテインから西南西1.2 kmほどの場所にある[25]

ロバート・ブルームとその助手ジョン・ロビンソン(英語版)は1948年11月に、スタルクフォンテインとクロムドライに加えて、スワルトクランスの発掘作業を開始した[26]。まもなく出土した臼歯のついた頑丈な下顎骨について、ブルームは新種とみなして「パラントロプス・クラシデンス」と命名した(現在ではパラントロプス・ロブストゥスと見るのが一般的)[26]

さらに、1949年にはまったく別種の化石人骨が出土し、ブルームは「テラントロプス・カペンシス」と命名した[27]。これはのちに、ロビンソンによってホモ・エレクトゥスと同定しなおされ[28]、実際、それかホモ・ハビリスと同一視されているが、ヒト属がアウストラロピテクス属と同じ時代に生存していたことが確認された最初の例であった[12]。なお、スワルトクランスの化石は断片的なものばかりで、首から下の骨の出土例はまれである[29]。これに関する研究は、ダートの「骨歯角文化」説(後述)の否定材料のひとつになった[29]

1951年にブルームが没し、ロビンソンもその出土品群の整理に終われるようになると、スワルトクランスの発掘作業は中断された[30]。1966年に発掘作業を再開したチャールズ・ブレイン(英語版)は、いくつかの重要な業績を上げた。ひとつめは、スワルトクランスの成り立ちを復元し、5層に分類した地層のおおよその年代を特定したことである。彼によれば、スワルトクランス第1層はおよそ180万年前から150万年前、第2層と第3層はおよそ150万年前から100万年前で、第4層と第5層はそれよりも新しい[31]。かなり幅のある推定になるのは、南アフリカの化石出土地帯が石灰岩で、保存状態の良好な化石も出る反面、鍾乳洞の天井崩落やそこに落ち込んだ堆積物の重なりなどが非常に複雑な地層を形成していることが一因である。また、火山が近くにないため、東アフリカの化石出土地帯で一般的な、火山灰をアルゴン - アルゴン法にかけるという信頼性の高い手法も使えない分、狭く絞り込んだ年代推定が難しいのである[31]

ブレインのもうひとつの業績は、第1層・第2層と違い、第3層には火の使用痕があることを突き止めた点である。彼は第3層から出土する獣の骨に、野火で焼けた場合と異なる例が270点あることを認識し、さらにそれらが、人の手を介さずに死んだ骨だとしたら不自然な形で分布していることを根拠に挙げた[32]


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