もっとも、時代とともに変化している面もある。
農業社会の農村では、とり結ばれる人間関係は必然的であり宿命的であった。そこに生まれてそこで育ちそこに住むということは、言わば「生まれる前から用意されていた人間関係に自動的に組み込まれる」ということである。基本的にそこからのがれることはできない[5]。
しかし、現代の都市部で暮らす人々の大部分はそういう必然性を背負っていない[注釈 1]。ある年齢に達したら親から離れて都会に出る。血縁自体は切れないが、物理的には離れる。年に1度か2度、盆や正月に故郷に帰ることはあっても、普段はおおむね離れている。農村では住んでいるところが作業の場であったので、地縁は仕事の面でも必然的な人間関係を結んだ。都市部での地縁はというと、居住地と職場は無関係である[7]。そのことは、大都市の中心部での夜間人口と昼間人口の驚くべき相違となって現れている。
ドイツの社会学者テニエス(テンニース)は、血縁・地縁を中心にした社会から社縁を中心にした社会への歴史的な移行をゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)へ、という二分法で論じた。これはアメリカの社会学者クーリーが「一次的集団」と「二次的手段」とに分けて論じたこととも重なっている。人類学者の米山俊直は、血縁・地縁によらない人為的な組織での人間関係の原理を結社縁、略して「社縁」と名づけた。そして、テニエスやクーリーが論じた20世紀の始めのころよりも、現在は事態ははるかに進展している[8]。
現代人の多くは、ある種の必然性をもってのしかかってくる地縁・血縁原理による人間関係を意識的に避けて、「他人」との関係に力点をかける。例えば、係累のない人間のほうを結婚相手として選ぶ傾向が増えたことなども挙げられる。また、日本で第二次世界大戦後に行われた家族観の変化も、親子という血縁関係から、夫婦という「社縁」への力点のうつしかえであった、と見なすことも可能である[9]。
必然から逃れること、つまり自由になることは素晴らしい、と現代人は素朴に思う。だが同時に、自由であることにいささか当惑している。誰とどのように人間関係を結んでもいいとされても、かえってどうしていいのかわからなくなる。どうしたら人間関係が組めるのか分からない[9]。また、都市生活はにぎやかで活気があっていいなどと言いもするが、また他方で、都市に孤独を感じている。例えば一人で大都市の交差点の一隅に数分(あるいは数十分間)も立っていても、めったなことでは知人には逢わない。眼前を流れゆく群集を凝視し、おびただしい数の人間が皆、自分と関係の無い「他人」だと心でかみしめたりすると、淋しさを感じることになる。ネオンのまたたきや自動車の音などが、かえって淋しさをかきたてる効果しかもっていないことに現代人は気づいている[9]。
地縁・血縁的な原理を喪失してしまった人でも、その喪失を解決する方法が無いわけではない。それは、他人をあたかも血縁であるかのように取り扱い、血縁関係になぞらえた社縁を構築する方法である。例えば「親分・子分」の関係がそれである。しかるべきひとを「親分」にして忠誠をつくし「可愛いがられ」て「身内同様」につきあってもらう。そんな方法をとれば人生はそれなりに安定して幸福になる可能性もあるのかも知れない。また「大家と言えば親も同然、店子(たなこ)と言えば子も同然」として、不動産の貸借関係に血縁的な擬制が用いられることもある[10]。このような、社縁関係に血縁の原理を応用するという方法は簡便で便利な方法である。
このような簡便な方法でも「どうにも抜差しのならぬ面倒なこと」になる可能性があり、めんどうなことにならずに知らない人間同士が自由にまじわってゆく方法はないのか[11]などと問いかけが行われることもある。
コミュニケーションと人間関係