人道に対する罪
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また、戦後処罰政策の実務を担ったマレイ・バーネイズ大佐は開戦が国際法上の犯罪ではないことを認識していたし、後に第34代大統領になるドワイト・D・アイゼンハワー元帥も、これまでにない新しい法律をつくっている自覚があったため、こうした事後法としての批判があることは承知していたとみられている[3]
国際軍事裁判所憲章

第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判の基本法である国際軍事裁判所憲章で初めて規定された[4]。1945年8月8日に制定された同憲章五条及び六条では、(a)平和に対する罪、(b)戦争犯罪、(c)人道に対する罪の三つが、同裁判所の管轄する犯罪とされた[4]

なお、日本でいう戦犯のA級・B級・C級という区分は、元来はこの憲章規定にあたるという意味であって、「C級よりA級の方が重大」という意味ではない[5]ニュルンベルク裁判ではナチスによるユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)が衝撃的であったため、C級犯罪である「人道に関する罪」がA級の「平和に対する罪」を凌駕するような印象になったが、検察はA級の「平和に対する罪」を最も訴追した。

日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判における戦争犯罪類型C項でも規定されたが、日本の戦争犯罪とされるものに対しては適用されなかった[6]。連合国側が、日本の場合はナチス・ドイツの「ユダヤ人問題の最終的解決」のような民族や特定の集団に対する絶滅意図はなかったと判断したためである[7]南京事件いわゆる南京大虐殺については連合国は交戦法違反として問責し、「人道に関する罪」は適用されなかった[8]
戦争犯罪及び人道に反する罪に対する時効不適用に関する条約

1968年11月26日、第23回国際連合総会で、「戦争犯罪及び人道に反する罪に対する時効不適用に関する条約」が採択された。この条約は前文および11条からなり、第一条で戦争犯罪と人道に反する犯罪について時効は「その犯罪の行われた時期にかかわりなく、適用されない」と規定された。

戦争犯罪とは「1945年8月8日のニュルンベルグ国際軍事裁判所規約で定義され、1946年2月13日の第一回国連総会決議三及び 1946年12月11日の同国連総会決議九五によって確認された戦争犯罪のことで、「とくに戦争犠牲者の保護に関する1949年のジュネーブ協定に列挙された重大な違反」を指すと規定されている。

「人道に反する犯罪」とは「戦争中たると平時たるとを問わず」、ニュルンベルグ国際軍事裁判所規約、第一回国連総会決議3、および国連総会決議95によって確認された「人道に反する犯罪」のことを指し、さらに、「武力攻撃又は占領による追放、アパルトヘイト政策に結果する非人道的行為、並びに1948年の集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約に定義され た集団殺害の犯罪で、かかる犯罪行為が犯罪の行われた国の国内法に違反しない場合をも含む」と規定された。

この条約には58国が同意、7国は反対、36国が棄権、23国は裁決に加わらなかった。

日本は過去にさかのぼり時効の適用を撤廃することは日本国憲法第39条事後法・遡及処罰の禁止)に反する疑いがあり、また犯罪の定義が不明確であるとの理由から締約国の範囲を定めた第5条に賛成したほかは各条項および条約案全体を棄権した[9]

中華人民共和国アルバニア決議[10]以前であったため国連未加盟で、東西ドイツ[11]も同じく国連未加盟のため採決に参加せず、また本条約に参加していない。

1969年に11カ国が署名、うちメキシコを除く10カ国の批准により1970年11月11日発効した(メキシコは2002年に批准)。のちパレスチナ国家を含む全56国が加盟している。


合意国家

以下は各国家の判断。※国名は当時のもの

アルジェリア

ブルガリア

ビルマ

白ロシアSSR(現・ベラルーシ

中央アフリカ共和国

セイロン(現・スリランカ

チャド

チリ

中華民国台湾

キプロス

チェコスロヴァキア社会主義共和国

ダオメ共和国(現・ベナン共和国

エチオピア

ガボン

ガーナ

ギニア

ハンガリー

インド

インドネシア

イラン

イラク

イスラエル

象牙海岸(現・コートジボワール

ケニア

クエート

レバノン

リベリア

リビア

マレーシア

モルディブ諸島

モーリタニア

メキシコ

モンゴル人民共和国

モロッコ

ネパール

ニジェール

ナイジェリア

パキスタン

フィリピン

ポーランド

ルーマニア

ルワンダ

サウジアラビア

セネガル

シンガポール

南イエメン人民共和国

スーダン

シリア

トーゴ

チュニジア

ウクライナSSR(現・ウクライナ

ソビエト社会主義共和国連邦(現・ロシア連邦

アラブ連合

タンザニア

上ボルタ(現・ブルキナファソ

ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国

ザンビア

以上、条約に58国が同意した。
反対国家


アメリカ合衆国

オーストラリア

ポルトガル

南アフリカ共和国


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