人質
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1960年1970年 - 日本航空ハイジャック事件

1968年 - 金嬉老事件

1970年 - 三島事件

1970年 - 瀬戸内シージャック事件 - 犯人が射殺され、事件解決。

1972年 - あさま山荘事件

1972年 - ミュンヘンオリンピック事件

1976年 - エンテベ空港奇襲作戦

1977年 - 経団連襲撃事件

1977年 - 長崎バスジャック事件 - 犯人が射殺され、事件解決。

1977年 - ダッカ日航機ハイジャック事件

1979年 - 三菱銀行人質事件 - 日本の人質事件で初めて人質が殺害された。犯人が射殺され、事件解決。

1980年 - 駐英イラン大使館占拠事件

1981年 - 深川通り魔殺人事件

1985年 - コロンビア最高裁占拠事件

1992年 - 町田市立てこもり事件

1994年 - 朝日新聞東京本社立てこもり事件

1995年 - 全日空857便ハイジャック事件

1996年 - 在ペルー日本大使公邸占拠事件

1999年 - 京葉銀行津田沼支店立て籠もり事件

1999年 - 全日空61便ハイジャック事件 - 日本のハイジャックによる人質事件で初めて人質(乗っ取り機の機長)が死亡。

2000年 - 西鉄バスジャック事件

2002年 - 二丈町立てこもり殺人事件

2002年 - モスクワ劇場占拠事件

2003年 - 名古屋立てこもり放火事件

2004年 - イラク日本人人質事件

2004年 - ベスラン学校占拠事件

2007年 - 愛知長久手町立てこもり発砲事件

2007年 - 2007年ターリバーン韓国人拉致事件

2008年 - エチオピア医師人質事件

2008年 - アフガニスタン日本人拉致事件

2010年 - 米記者人質事件

2010年 - イラク米軍人質事件

2010年 - 2010年フィリピン香港人拉致事件

2013年 - アルジェリア人質事件

2014年 - 2014年シドニー人質立て籠もり事件

2015年 - ISILによる日本人拘束事件

2015年 - パリ同時多発テロ事件

2023年 - 2023年パレスチナ・イスラエル戦争

関連する法律や慣習

人質を取る行為に関する国際条約
(英語版)(人質行為禁止条約)

18 USC 1203: Hostage Taking Act(英語版) - アメリカ合衆国における人質を禁じる法律。

国王演説#人質 - イギリス国王が議会で演説する際、与党の有力議員をパッキンガム宮殿に人質として拘留する慣習がある(議会派と王党派が戦ったイングランド内戦の歴史も参照)。

債務担保としての人質

近世以前の日本においては、主に借金などの債務について人身を担保として、債務不履行時には身売りなどを行ったり、債務弁済の履行まで妻子や親族などを相手方にとどめておくことが行われ、これを人質と呼び、また、その対象となる人身も人質と呼ばれた。

徳川幕府は人身売買を厳禁としていたが、事実においては譜代奉公または年季奉公の形式をとってなされており、遊廓などへの身売りなども法律上は奉公の名義において許されたものであった。そもそも人質に至っては、一般的にこれを禁止する法律がなく、わずかに元禄御法式に「女房を妾奉公に出す者之類附女房を質物に置く者 死罪、取持候者同罪、女房を質物に置く者 二十里四方追放」とあり、女房の質入れを禁止するにとどまっていた。そのため、義太夫節浄瑠璃正本の中には、女性の質入れを取り上げた例もある。人質と称してはいるが、債権者が身柄を押さえているものではなく、一種の人身抵当(江戸期の用語では『書入』)に他ならない。債務不履行(質流)にあたっては、紀海音作『笠屋三勝二十五年忌』に「銀高四貫五百匁の質物には、其三勝(注.人名、借り手平左衛門の娘)霜月晦日過たらば、其方へ引取りて遊女奉公にやり成共、又女房になされう共、毛頭かまひ候はぬと、手形証文取ている(貸金四貫五百文の担保として、三勝を置くが、霜月末日(までに返済がなく)過ぎたときは、そちらで引き取ってもらって、遊女奉公に出そうとも、また、女房にしようとも、構わないとの証文をとっている)」とあって、その実情が窺い知れる。一方で、年季質物奉公人というものがあり、こちらは、債務のある間、貸主の元にあって、使役させられるものを言い、こちらは、債務元本に利子を付すことができない点で書入れとはその性質を異にした[10]
脚注
注釈
出典^  この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Hostage". Encyclopadia Britannica (英語). Vol. 13 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 801?802.
^ 人質. コトバンクより。
^ a b c 山尾(2003)
^ a b 堀(1998)
^ 『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』、清水克行、2021年6月発行、新潮社、P151
^ “家康の誕生|徳川家康ー将軍家蔵書からみるその生涯ー|国立公文書館”. www.archives.go.jp. 2023年10月31日閲覧。
^ 渡辺和行 1994, pp. 190?191.
^ 富田与 2005, pp. 149.


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