233基[6]の碑塔からなる。建立年代のわかる碑塔は89基ある。富士講が隆盛した18世紀末から19世紀前半に建立されたものが一番多く、銘にみられる地名は6割近くが江戸下町のものである[7]。逆に静岡県内の地名がみられるものは1基のみである[8]。その89基の中で一番古い年代に作成されたとされる碑塔は、洞穴内に位置する1664年(寛文4年)建立のものである[9]。この碑塔は富士構成立以前のものである[10]。また碑塔群には角行の供養碑などが含まれる。祈願奉納碑に区別されるものが35基、顕彰祈念碑に区別されるものが7基、墓碑供養碑に区別されるものが188基、道標が1基である。祈願奉納碑は「富士仙元」等の銘が彫られた祈願を主としたもので、顕彰祈念碑は講名や笠印などを記した記念碑であり、祈願奉納碑は戒名や行名を記したものである[11]。建立された「墓碑供養碑」「祈願奉納碑」「顕彰記念碑」などは、講(枝講)ごとにまとまっており、刻銘から、各講の歴史や構成地域を知ることができる[3]。現在は、碑塔群内に入ることは出来ない。 座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度21分41.9秒 東経138度35分27.8秒 / 北緯35.361639度 東経138.591056度 / 35.361639; 138.591056 (人穴浅間神社)
脚注[脚注の使い方]^ a b c ⇒「富士山」推薦書原案 (PDF) 、富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議、2011.07.27
^ a b c ⇒第1回静岡県学術委員会・第2回山梨県学術委員会資料(旧・「富士山」推薦書原案) (PDF) 、富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議、2010.07.14
^ a b 『人穴富士講遺跡』静岡県富士宮市ウェブサイト
^ a b c 「1163 藤(富士)の茅の輪」(『芙蓉庵[有坂蓉子 Yoko Arisaka]の【富士塚日記】』(富士山をモチーフとした作品や富士塚研究で知られる美術家・有坂蓉子のブログ))
^ 「1164 450年記念大祭」(『芙蓉庵[有坂蓉子 Yoko Arisaka]の【富士塚日記】』)
^ 人穴浅間神社の碑塔と拓影,P5
^ 人穴浅間神社の碑塔と拓影,P15
^ 人穴浅間神社の碑塔と拓影,P16
^ 人穴浅間神社の碑塔と拓影,P5-6
^ 人穴浅間神社の碑塔と拓影,P10
^ 人穴浅間神社の碑塔と拓影,P7
参考文献
富士市立博物館編『人穴浅間神社の碑塔と拓影』富士市立博物館、1999年。
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