人民議会_(東ドイツ)
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ドイツ民主農民党(DBD) 52議席

自由ドイツ労働総同盟(FDGB) 68議席

自由ドイツ青年団(FDJ) 40議席

ドイツ民主婦人連盟(ドイツ語版)(DFD) 35議席

ドイツ文化連盟 22議席

計 500議席

1986年から農民相互援助団(ドイツ語版)が加わり、諸団体の議席数が変更された。

ドイツ社会主義統一党(SED) 127議席

キリスト教民主同盟(CDU(DDR)) 52議席

ドイツ自由民主党(LDPD) 52議席

ドイツ国家民主党(NDPD) 52議席

ドイツ民主農民党(DBD) 52議席

自由ドイツ労働総同盟(FDGB) 61議席

自由ドイツ青年団(FDJ) 37議席

ドイツ民主婦人連盟(ドイツ語版)(DFD) 32議席

ドイツ文化連盟 21議席

農民相互援助団(ドイツ語版) 14議席

計 500議席

最初期はキリスト教民主同盟、自由民主党もある程度の力を持っていたが、SEDに反対する幹部の多くは追放されて西ドイツへ亡命したために衛星政党となっていった。国家民主党と民主農民党は最初からSEDの肝いりで作られた政党である[4]。政党以外の各団体も、FDJはSEDの下部組織であり、またFDGBの会長がSEDの政治局員[5]であるなど、実質的にはSEDの傘下にあった。
1990年の議席

最初で最後の自由選挙となった1990年人民議会選挙後の議席。

キリスト教民主同盟[注釈 5](CDU) 163議席

ドイツ社会民主党[注釈 6](SPD) 88議席

民主社会党[注釈 7](PDS) 66議席

ドイツ社会同盟(DSU) 25議席

自由民主同盟(ドイツ語版)[注釈 8](BFD) 21議席

同盟90[注釈 9](B90) 12議席

ドイツ民主農民党(DBD) 9議席

東ドイツ緑の党[注釈 10]/独立婦人同盟(ドイツ語版) 8議席

民主主義の出発(DA) 4議席

ドイツ国民民主党(NDPD) 2議席

ドイツ民主婦人連盟(ドイツ語版)(DFV) 1議席

左翼連合(ドイツ語版)[注釈 11](VK) 1議席

計 400議席

議事堂

戦前の帝国議会議事堂は戦後西ベルリンに属したため、東ドイツ人民議会では使用不可能であった。1950年から1976年までは東ベルリン・ミッテ区の赤の市庁舎近くにあるランゲンベック・フィルヒョウ・ハウス(ドイツ語版)(Langenbeck-Virchow-Haus)に置かれていた。1976年からは同年に竣工した共和国宮殿の小ホールを使用するようになった。

1950 - 1976年の間人民議会がおかれたランゲンベック・フィルヒョウ・ハウス

ランゲンベック・フィルヒョウ-ハウスで行われた人民議会本会議(1960年)

共和国宮殿・人民会議の議場への入口

脚注
注釈^ キリスト教民主同盟の議員が宗教的な理由から妊娠中絶を認める法案に反対票を投じた例があるが、これが1989年までで唯一反対票が出た法案である。(斉藤瑛子『世界地図から消えた国-東ドイツへのレクイエム』P135)
^ 国家元首を兼務。
^ この投票方法であるがゆえに、1989年5月7日の地方議会選挙では選挙を監視していた市民グループが投票用紙に記入しに行った人を数えて割り出した反対票の数に対して公式発表された反対票が少なかったために、政府が選挙結果を不正操作したことが判明した(永井清彦・南塚信吾・NHK取材班『社会主義の20世紀 第1巻』日本放送出版協会 1990年 P93-94)
^ 現在でも東ドイツ同様事実上の一党独裁制である北朝鮮最高人民会議はこのような方法の選挙が行われている。
^ 厳密には共産主義体制時代の衛星政党であるドイツキリスト教民主同盟であり、西ドイツの同名政党とは別団体だが、この時点では西ドイツのドイツキリスト教民主同盟の支援を受けており、実質的に西ドイツ側の傘下の組織となっていた。


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