人権
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請求権的性格を有する基本的人権をめぐっては抽象的権利と具体的権利の区別の問題を生じる[38]

例えば、日本国憲法第25条の権利を、抽象的権利と解する説では、憲法第25条を具体化する法律が存在しているときにはその法律に基づく訴訟において憲法第25条違反を主張することができるとしつつ、立法または行政権の不作為の違憲性を憲法第25条を根拠に争うことまでは認められないとする[51]。一方、具体的権利と解する説では、憲法第25条を具体化する法律が存在しない場合でも、国の不作為に対しては違憲確認訴訟を提起できるとする[51][52][53]

ただ、立法不作為の確認訴訟にとどまるものに「具体的」、憲法第25条違反として裁判で争う可能性まで残されているものに「抽象的」といった名称を用いることには疑問の余地があるとする指摘もある[54]
制度的保障

制度的保障とは、一般には、議会が憲法の定める制度を創設し維持することを義務づけられ、その制度の本質的内容を侵害することが禁じられているものをいう[55]。制度的保障では直接の保障対象は制度それ自体であるから個人の基本的人権そのものではないが、制度的保障は基本的人権の保障を強化する意味を有する[55]

制度的保障として捉えられることがある制度には次のようなものがある。
大学の自治
大学の自治の法的性格については学問の自由を保障するための客観的な制度的保障とする制度的保障論が有力である[56]
私有財産制度
私有財産制度は財産権の保障との関連で制度的保障として捉えられることがある。ただし、日本国憲法第29条第1項(財産権の保障)については、客観的法秩序としての私有財産制の制度的保障のみを認める趣旨であるとする説[57]もあるが、多数説は私有財産制の制度的保障とともに個人が現に有する財産権をも個別的に保障していると解している[58]
政教分離原則
政教分離原則は信教の自由との関連で制度的保障として捉えられる[59]。ただし、政教分離原則を制度的保障として捉えることは微妙であるとする消極的な見解もある[55]。「制度的保障」を参照
人権の享有主体性
国民

国民が人権の享有主体であることは説明を必要としない[60]。国籍の要件は憲法や法律で定められる。国民の要件は憲法で定めている場合もあれば法律に委ねている場合もある。

日本の場合、日本国憲法第10条が「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と定めており、国籍の取得と喪失について国籍法(昭和25年法律第147号)が定めている[61]

日本では、天皇及び皇族について、ともに憲法10条の「国民」に含まれるが世襲制や天皇の象徴たる地位から一定の異なる扱いを受けるとする説(宮沢俊義)、天皇については象徴たる地位から憲法10条の「国民」には含まれないが、皇族は憲法10条の「国民」に含まれ皇位継承に関係のある限りで一定の変容を受けるとする説(伊藤正己)、皇位の世襲制を重視し天皇・皇族ともに憲法10条の「国民」には含まれないとする説(佐藤幸治)など、学説は分かれていて一様ではない[62]

2004年皇太子徳仁親王が記者会見で皇太子妃雅子に関して述べたいわゆる人格否定発言に関して議論が起きた際、評論家の西尾幹二らは皇族に一般に言われる人権はないとする論陣をはった。その論旨は 天皇および皇族は「一般国民」ではなく[注 2]、その日常生活にはすべて公的な意味があり、プライバシーや自由が制限されるのは当然とするものである。また、「人権」という言葉は「抑圧されている側が求める概念の革命用語」であり、天皇や皇族が「抑圧」されているのはあってはならない(ありえない)とする[63]。これについて自然権としての人権ということが理解されていないという批判があるが、西尾は人権そのものを否定したのではなく、その適用の対象または範囲に限定して論じたと応答している[63]。この論については竹田恒泰が「人格否定発言について、『皇太子殿下の強い抗議は、ヨーロッパの王族の自由度の広い生活を比較、視野に入れてのことであろう』というが、これも一体どのような取材をした結果だというのか」などと反論し、雑誌記事にコメントする立場にない皇族に対して妄想のいりまじった、無根拠な非難は「卑怯」とした[64]
未成年者

多くの国において、未成年者の人権は制限される。未成年者は保護者の親権に服することとされる。未成年者は、契約を締結する権利、選挙権、被選挙権、飲酒・喫煙をする権利などを制限される。ただし、養育や教育を受ける権利など、未成年だからこそ認められる権利もある。
外国人

人権の前国家性からは、外国人にも人権の保障は及ぶと解されている[65]

日本では、法理的には日本国憲法第三章の規定はその表題にあるように「国民の権利及び義務」であるとした上で憲法前文の政治道徳の尊重から外国人にも基本的人権の保障が及ぶものと解する学説[66]と、人権の前国家性や憲法の国際協調主義及び日本国憲法第13条前段の趣旨の帰結として外国人にも基本的人権の保障が及ぶものと解する学説[65]がある。

ただし、外国人の人権享有主体性を認める場合でも、その法的地位は国民と全く同一というわけではない[65]。たとえば、外交、国防、幣制などを担う国政選挙の参政権は、伝統的な国民主権原理のもとでは自国民に限られると解されている[67]。「外国人」を参照
法人

法人については、ドイツ連邦共和国基本法のように憲法典で法人にも人権保障が及ぶことを明文で規定している場合がある[68]

日本国憲法には明文の規定がないが、性質上可能な限り内国の法人にも権利の保障は及ぶとするのが確立された法理となっている(八幡製鉄事件判例最大判昭和45・6・24民集24巻6号625頁)[69]

男女同権、良心の自由、婚姻に関する保障などは、その性質上法人には保障が及ばない[69]

法人に対して人間は「自然人」と呼ばれる。
動物詳細は「動物の権利」を参照

動物に人権があるのかについては、様々な説がある。人権は人間しか享有できないということは、決して自明なことではない。
人工知能

人工知能の発展により、人権を認めるかが議論されている[16]。法人格や限定的な権利は法技術的に認めることが可能とされる[16]
人権の適用領域
特別の法律関係

国民は一般的には国(または地方自治体)の権力的支配に服しているが、これとは別に法律上の特別の原因に基づいて特別の権力的な支配関係に入ることがある[70][71]。このような特別の権力的な支配関係としては、公務員や国公立学校の学生や生徒のように本人の同意に基づく場合と、刑事収容施設の被勾留者や受刑者のような場合がある[70][71]

かつての公法理論である「特別権力関係論」では、このような関係においては法治主義の原則が排除され、特別権力主体には包括的な支配権が認められ、それに服する者に対しては法律の根拠なく権利や自由を制限でき、特別権力関係の内部行為についても司法審査が及ばないとされていた[72]。しかし、現代では、このような人権の制約も、その特殊な法律関係の設定や存続のために内在する必要最小限度で合理的なものでなければならず、権利や自由の侵害に対しては司法審査が及ばなければならないと解されている[73]。「特別権力関係論」を参照
公務員関係「公務員」および「日本の公務員」を参照
在監関係

外部から隔離された刑務所などの刑事施設の処遇をみれば、その国の人権意識のレベルがわかるといわれている[74]

日本においては、国際人権規約の下で設置された国連人権委員会において代用監獄の問題を指摘された。人権委員会は1998年の第4回日本政府報告の審査において代用監獄の廃止を勧告している。
憲法の私人間効力

元来、憲法による基本的人権の保障は国家と国民との関係で国家による侵害から国民の自由を保全しようとするものである[75]。私人相互間の問題は原則として私的自治の原則に委ねられ、問題があれば立法措置で対処すべきと考えられていた[75]

憲法には私人間の適用を明示しているものや明示がなくても性質上私人間での妥当性が措定されているものがある[75]。日本国憲法の場合、第15条第4項、第16条、第18条、第27条第3項、第28条などには私人間の適用があると解されている[75]

そのような規定でない場合の私人間効力については問題となる。
直接適用(効力)説


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