人工衛星(じんこうえいせい、英: artificial satellite)とは、惑星、主に地球の軌道上に存在し、具体的な目的を持つ人工天体。地球では、ある物体をロケットに載せて第一宇宙速度(理論上、海抜0 mでは約 7.9 km/s = 28,400 km/h[注 1])に加速させることで、地球の重力と重力から脱出しようとする遠心力とが釣り合い、その物体は地球周回軌道を回り続ける人工衛星となる[1]。明らかに人工物と分かっている文脈では、自然衛星でなくとも「衛星」(satellite) とも呼ばれる。
人類初の人工衛星は、1957年にソビエト連邦が打ち上げたスプートニク1号である。2024年4月時点で約9000基が運用されており、2022年だけで2368基が打ち上げられた[2]。運用を終えた多数の人工衛星は墓場軌道への移動させられたり、大気圏再突入により消失させられたりしたほか、一部はスペースデブリ化している。
用途は多岐にわたり、主要な役割として軍事衛星(偵察衛星など)、通信衛星、放送衛星、地球観測衛星、航行衛星、気象衛星、科学衛星、アマチュア衛星などがある。
有人宇宙船や宇宙ステーション、スペースシャトルも広義の人工衛星に含まれ、アメリカ航空宇宙局(NASA)等の人工衛星の軌道データに掲載もされるが、これらについて触れる際には人工衛星とは呼ばれないのが一般的である。
地球周辺の宇宙空間を周回し続けていても、目的を持たない使用済み宇宙ロケットの残骸や人工衛星の破片などはスペースデブリとして区別される。また、惑星以外の軌道(月周回軌道、太陽周回軌道)を周回する人工天体は宇宙探査機と呼ばれ、一般に区別される。
人工衛星は地球を周回する軌道にあるものが大部分であるが、惑星探査目的で、太陽系にある他の惑星、火星や土星などの軌道上にも観測機がいくつか到達しており、各惑星の人工衛星となっている。これらは惑星の観測を行ったり、火星探査機などのように他惑星の表面に着陸した宇宙探査機からの各種観測データを地球まで中継送信している。
歴史
構想「宇宙開発」を参照
人工衛星がフィクション内で初めて描かれたのはエドワード・エヴァレット・ヘイル(英語版)の短編小説、『レンガの月(英語版)』である。この話はThe Atlantic Monthly にて1869年からシリーズ化された[3][4]。この概念が次に登場したのは1879年、ジュール・ヴェルヌの『インド王妃の遺産(英語版)』である。
1903年、ロシア帝国のコンスタンチン・ツィオルコフスキーが『反作用利用装置による宇宙探検』(ロシア語: Исследование мировых пространств реактивными приборами)を出版した。これは、宇宙船を打ち上げるためのロケット工学に関する最初の学術論文だった。ツィオルコフスキーは地球の回る最小の軌道に求められる軌道速度を8km/sと計算し、液体燃料を使用した多段式ロケットならば達成可能であることを示した。また、彼は液体水素と液体酸素の使用を提案した。
1928年、スロベニアのヘルマン・ポトチェニク(英語版)がThe Problem of Space Travel ? The Rocket Motor(ドイツ語: Das Problem der Befahrung des Weltraums ? der Raketen-Motor)を出版し、宇宙旅行と人間の永続的滞在性について述べた。彼は宇宙ステーションを発想し、ステーションの静止軌道計算を行った。彼はまた、人工衛星が平和的・軍事的に地上の観測に使用できることを詳細に記述し、宇宙空間の特殊な状態が科学実験に有意であることや、静止衛星を通信などに利用できることについても述べた。
1945年、アメリカ合衆国(米国)のSF作家アーサー・C・クラークは雑誌ワイヤレス・ワールド(英語版)上で、通信衛星を用いたマスコミュニケーションの可能性を詳細に記述した[5]。また、クラークは人工衛星打ち上げの計画、可能な衛星軌道などについても調査し、3機の静止軌道衛星で地球全体をカバーすることを提案した。
人工衛星の誕生詳細は「宇宙開発競争」を参照スプートニク1号:世界初の人工衛星
第二次世界大戦中にナチス・ドイツが開発したV2ロケットの技術とその技術者を取り込んだアメリカとソ連のロケット技術は急速な進歩を成し遂げ、人工衛星が現実のものとなりつつあった。
アメリカは1945年より海軍航空局(英語版)の下、人工衛星の打ち上げを検討してきた。