京都
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佐藤の書を読み影響を受けた大久保利通が江戸を東京と改称することを明治天皇に建言したという[18]。なお「西京」という名称については明治以降に実際に起きたことは佐藤の構想とは異なり、大阪ではなくて京都を「西京(さいきょう)」と呼ぶ風潮が京都で広まり、例えば第二次大戦後に新制大学として発足した京都府立大学は最初「西京大学」と称した。)

1879年(明治12年)には郡区町村編制法により、京都に上京区下京区の2区が置かれた。1889年(明治22年)には市制のうち三市に対して実施された市制特例により、上京区・下京区を存置したまま府管轄下に置かれる「京都市」となった。1898年(明治31年)に市制が改正[20]されたことにより、一般市と同等の市制が施行された。1956年昭和31年)9月1日からは政令指定都市に移行した。

現在の京都府は、江戸時代までの令制国の区分では、平安京が含まれている山城国のほかに丹後国丹波国の一部を含む。京都市は、京と別の都市だった伏見市や旧丹波国に位置する京北地域などに市域が広っている。
市街路の変遷

793年延暦12年)平安京が新しい都に選ばれ、その翌年の794年に長岡京から遷都されたときは、東西約4.5 kmのあいだに33本の通り、南北5.2 kmのあいだに39本の通りが通されて、碁盤の目状に整然と区画された[21]。平安京の町並みは、室町時代に勃発した南北朝の戦い1336年 - 1392年ごろ)や応仁の乱1467年 - 1477年)で幾度も焼失して荒廃した[21]。その復興の際に市街路を狭くして、それまで市街路があったところに家屋が建てられたりしたもしたが、市街路のどこの場所を狭くするかは京都市街の場所によってまちまちであったため、道幅の広い所や狭い所があったり、まっすぐになっていない道が出来たりもした[22]。しだいに市街路に面したところに商店が軒を連ねるようになって土地が不足するようになっていったが、市街路で区画された土地の中央部分は空き地になっていた[22]。京都の土地不足は、桃山時代豊臣秀吉によって、各区画の中央部で空き地になっている土地を有効利用して土地不足を解消するために、南北方向に道路が5本増やされた[22]。これが功を奏し、さらに京都の人々の手によって南北方向の道路が増やし続けられた[22]。このため、現在の京都市街地の通りは碁盤の目状ではなくなっており、東西方向の通りと比較して、南北方向の通りの方が数が多く、間隔は狭く並んでおり、街路に囲われた土地区画も長方形になっているところが多い[21]。「京都市内の通り」も参照
都市災害と文化財

京都市内には活断層の存在が確認され、歴史的にも大きな被害をもたらしている。また、応仁の乱禁門の変などの戦乱、太郎焼亡団栗焼けなどの大火が発生し、太平洋戦争下でも東京や大阪などに比べて被害は小さかったものの空襲の対象となっている[23]

ところで、現在京都市内には、多くの木造建築物や仏像などの文化財が数多く現存しているが、その理由として、これらの文化財は昭和初期までほとんどが住宅地の外にあり、幾たびかの市街地からの延焼をまぬがれてきたから存在するとの研究結果が認知されつつある。ところが、近時住宅地にのみこまれた文化財は、地震などによる大火で失われる確率が過去に無いほど高くなり「非常に危険な状態にある」と危惧する声が有識者の中から上がっている[24]。また、それら文化財自体の地震などへの耐震性についても、現在の基準で判断すると問題のある建物も相当数あるが、解体修理は世紀単位で一度しかできない上に莫大な費用を要する。
学校「番組小学校」および「京都の元学区」も参照

日本における最初の学区制小学校は、国の学校制度創設(1872年)に先立ち、地区単位である番組ごとに1869年に創設された64校の京都の番組小学校である。これらの小学校のうち多くは統廃合されたが、22校は現在も残っている。教育機関としての機能だけでなく、役所・警察・消防・保健所などの機能も併せ持っていた。現在でも、番組小学校の学区は元学区と呼ばれ、自治会組織の単位となっている。
京都の観光

京都は世界的な観光地である。

観光で訪れる場所としての魅力を評価するために米国の有力旅行誌の『トラベル+レジャー』誌(Travel + Leisure)が行った読者の投票による評価で順位づけをした「世界のベスト都市トップ25 2021年」によると、京都は世界で第5位にランクインした[25]。(なお1位サン・ミゲル・デ・アジェンデ(メキシコ)、2位 ウダイプル(インド)、3位 イスタンブール(トルコ)、4位 ウブド(インドネシア) 5位 京都という順であり、京都はイタリアのフィレンツェやメキシコのメキシコシティよりも上位だと評価された。)

1989年(平成元年)に京都市が(おそらく日本人を対象に)おこなった調査によると、京都を訪問した理由は次のようになっていた[26]。1位 「気持ちが京都にひかれた」(26.2%)[26]2位 「季節がら」(20.6%)[26]3位 「ひまがあったから」 (15.4%)[26]
具体的な場所、神社仏閣など
京都府の観光地」および「:Category:京都市の観光地」も参照
京都・観光文化検定

京都に関する知識を検定する試験として京都商工会議所の主催により京都・観光文化検定2004年から実施されている。通称は京都検定である。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 明治20年(1887年)に設立許可を受けた京都織物会社は南京繻子などの生産で知られたが、昭和41年(1966年)ごろに、京都大学東南アジア研究センターへ土地建物を譲渡して解散した。
^ いわゆる「北に玄武、東に青龍、南に朱雀、西に白虎」を備えた「四神相応の霊地」のことをいうが、このことは遷都を記した「日本後紀」が断簡しか残らないために事実であったかは不明。四神相応の話は平家物語が今のところ初出。 四神を具体的に船岡山、鴨川などに充てる説の初出は1984年刊行の「京都大事典」。

出典^Ky?to (Japan), ブリタニカ百科事典, (2009), ⇒http://www.britannica.com/EBchecked/topic/326030/Kyoto 
^Ky?to (prefecture, Japan), ブリタニカ百科事典, (2009), ⇒http://www.britannica.com/EBchecked/topic/326029/Kyoto 
^ エンカルタ:Ky?to, マイクロソフト, (2009), http://encarta.msn.com/encyclopedia_761566962/Ky%C5%8Dto.html 
^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 26 京都府』 上巻、角川書店、1982年、34頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-040-01261-5


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