京都神田明神
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『拾遺都名所図会?巻一?』においても「天慶3年に平将門の首を晒したところであり、それよりこの地に家を建てると祟りがある」「空也上人は将門の亡霊をここに供養し、石[2]を建てて印とした」という内容が書かれている。 明治に入ってからの、『京都日出新聞』では将門の首塚を発見したという記事が載ったが、大正初年の『京都坊目誌』には将門との縁を否定する文が残されている。ここが東京の神田明神の本家であるという説もあるが、裏付ける資料は見つかっていない。
交通アクセス

四条烏丸(南西角)を西方面へ進み、四条通南側新町と西洞院の間の路地を入った先に所在する。京都市営地下鉄烏丸線 四条駅より徒歩6分、阪急京都本線 烏丸駅 26番出口より徒歩5分ほどの距離にある。市バス「四条西洞院」より徒歩1分。路地を入り、史蹟将門塚保存会のが立てられているのが目印。
脚注[脚注の使い方]^ 以前は入り口に「史跡 神田神宮」というプレートがかけられていた。
^ 江戸期の東都名所シリーズともいえる張交絵『江戸の花「名勝会」』にて「将門の亡念打たれた首が、とんで石をかりかり神田」という洒落とともに歌川芳虎の描いた将門公の首が石を齧っている浮世絵は有名である。

参考文献

村上春樹著『平将門伝説』、
汲古書院、2001

『史蹟 将門塚の記』史蹟将門塚保存会、1976

『神田明神史考』神田明神史考刊行会、1992

関連項目

神田神社(神田明神)

平将門の首塚

村上春樹 - 平将門研究者

外部リンク

築土神社/平将門を祀る江戸の古社

神田神社(神田明神)

神田の家(史蹟将門塚保存会前会長の家)


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