京都放送
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大株主である京都信用金庫常任顧問の山段芳春[注釈 10]が浩子未亡人側についていたとされる。

1985年(昭和60年) - 1988年(昭和63年) - この頃、簿外債務処理のためにKBSが切った約束手形闇金融に流れる。KBSは、山段の知人で、闇金融に顔が利くと言われていた許永中に事態収拾を依頼し手形回収に成功。KBSは許を同社の資産管理会社の1つ「KBSびわ湖教育センター」の代表取締役に就任させる。

1987年(昭和62年) 12月24日 -ラジオ開局記念日に京都本局3代目の自立設置型ラジオ送信所(京都府久世郡久御山町)を設置。

1989年平成元年)

6月 - KBSが資本金を10億円から20億円に増資。京都信用金庫傘下のノンバンクであるキョート・ファンド(会長は山段)が筆頭株主になり、関西新聞(前出の許永中が事実上のオーナーと言われた)も資本参加。また、福本邦雄がKBS社長に就任(内田前社長は副社長として残留)。新社長は画商が本職だったが、のちに許が総合商社イトマンに売ることになる絵画骨董類を福本に売るなどの仲となっていた。京都新聞社は取締役派遣を取りやめ、のちの再建による出資までの間KBSと絶縁状態になる(ただし京都新聞社との報道協定は継続しており、同社で放送する『京都新聞ニュース』(テレビ・ラジオとも)は継続して放送した)。

12月 - ダイエー傘下のダイエーファイナンス(現・セディナ)がKBS本社の建物と土地に146億円の根抵当権を設定していた事が発覚。福本社長就任直後に設立された不動産会社の「KBS開発」に対する融資の担保とされていた。経営陣は従業員に対する説明を回避し、労働組合は翌年より経営陣およびダイエーなどへの抗議を展開。「京都唯一[注釈 11]の民間放送局を守ろう」との掛け声の下、リスナーやパーソナリティも参加しての広範な運動に発展。


1991年(平成3年)

6月4日 - イトマン事件強制捜査でKBS本社が大阪地方検察庁大阪府警察本部の家宅捜索を受ける。直後の株主総会で福本社長、内田前社長らが辞任。

9月 - KBSは、大阪地方裁判所に根抵当権設定登記抹消請求訴訟を起こす。


1994年(平成6年)

9月22日 - 親会社の京都新聞社にも跨る経営陣の内紛および、イトマン事件に巻き込まれるなどで経営が悪化し、労働組合員有志が給与未払いを理由に京都地方裁判所会社更生法適用を申請して経営破綻、事実上倒産する。免許事業である民間放送局としては日本初の倒産事例となったが、申請の数年前から存続運動が行われていたこともあり、放送は継続され、免許停止や?奪の危機は免れた。

9月30日 - 京都地方裁判所から財産保全命令を出す。

11月 - 京都地方裁判所が更生手続開始を決定。


1995年(平成7年)

8月 - イトマン事件関係者を排除するための100パーセント減資および100パーセント増資同時実施を柱とする更生計画案を京都地方裁判所に提出。同年10月、京都地方裁判所は更生計画を認可。

10月 - 商号を株式会社京都放送に変更。呼称の「KBS京都」はそのまま使用を継続。


1998年(平成10年)9月 - KBS京都を支援してきた市民や視聴者らが、同放送局の労働組合と協力して「KBS京都アクセスクラブ」が発足。

1999年(平成11年)

会社更生法による更生計画開始。

2月 - 更生計画に基づき減資・増資実施。京都新聞社が筆頭株主に復帰。任天堂ワコールオムロン京セラなど京都に本社を置く大手企業が出資し、新資本による新生KBS京都がスタート。同時に京都府京都市も出資。これは同社の史上初の事例である。


2001年(平成13年)9月 - サンテレビと業務提携し三都ネットを確立。

2002年(平成14年) - 関西テレビから資本参加を受け、東経124/128度CS放送(スカイパーフェクTV!)「関西テレビ☆京都チャンネル」(2009年(平成21年)4月30日放送終了)との連携を深める。現在、関西テレビだけでなく同局のキー局であるフジテレビ(現:フジ・メディア・ホールディングス)も株主で、以降関西テレビおよびフジテレビとの資本提携関係を取り付ける[注釈 12]

2004年(平成16年)9月 - メキシコのテレビ局「テレビサ」と相互独占配給契約を締結と発表。同年10月よりテレビサのテレビドラマ帯番組で放送開始。しかしメキシコの広告代理店との契約で問題が発生したとして2005年(平成17年)1月より放送中断。これにより社長が引責辞任、副社長・常務などが役員報酬カット。そして同年、KBSは更生会社となった1995年(平成7年)度以降初の赤字となった。なおKBSの番組がテレビサで放送されたとの報道はなかった。

2005年(平成17年)

4月1日 - 地上デジタルテレビ放送JOBR-DTV比叡山親局送信所・物理チャンネル23ch、送信出力1kW、リモコンキーID5ch)の本放送を開始。地上デジタルテレビ放送では珍しい1920×1080のフルハイビジョン放送。

『かたつむり大作戦』、第30回放送をもって終了。


2007年(平成19年)

4月 - 東名阪ネット6に参加。

6月 - 京都地方裁判所に更生手続の終結を申立。同年10月2日、同裁判所が更生手続の終結を決定。

11月 - 偽装請負を行ったとして厚生労働省京都労働局から労働者派遣法に基づく是正指導を受ける[注釈 13]


2011年(平成23年)

1月12日 - アナログテレビ放送において、レターボックス画面の黒帯部分に「アナログ」マークとアナログ放送終了告知テロップの常時表示を開始[注釈 14]

4月12日 - ラジオ関西・和歌山放送Kiss FM KOBEラジオNIKKEIと同時に「radiko.jp」の試験配信を開始。同10月12日に本配信へ移行。当初、配信は京都府内のみで放送対象地域の滋賀県は対象外だったが、2014年(平成26年)4月1日からは「radiko.jpプレミアム」として全国配信(有料)を開始。同10月1日からは通常配信(無料聴取)のエリアを滋賀県に拡大した(滋賀県で聴取の場合も京都本局の内容で配信)。

7月 - 千代正實(ちしろ まさみ)副社長が社長に昇格。元関西テレビ放送専務で社長を6年間務めた中澤隆司社長は代表権のある会長に就任。


2015年(平成27年)10月 - 番組宛メールアドレスのドメイン名を「kbs.ne.jp」から「kbs.kyoto」に変更[11]。ウェブサイトのドメイン名「kbs-kyoto.co.jp」は変更なし。

2018年(平成30年)

4月2日 - FM補完中継局開局[12]

10月 - 株式会社京都放送カルチャーセンターを吸収合併。


2021年令和3年)

4月1日 - radikoの通常配信のエリアを大阪府にも拡大[13]


2022年(令和4年)

4月 - 滋賀局を大津市に移転。


ラジオ・テレビ共通
主な番組「KBS京都番組一覧」を参照
特記事項

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