京都市
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また、明治中期の市制施行時から京都市内であった町名を住所(所在地)として示す場合、行政区名と町名の間に通り名と方向表示を入れたものが公的な表記として用いられる[18](例:「中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地」)。近世からの姿を引き継ぐ市内中心部の町には同名の組み合わせが少なくない数あり、古くから用いられるこの通り名と方向表示による住所の表記により識別される。このように町名だけで場所を特定することが困難な市内中心部では町名が地名としては用いられず、交差する通りの名称を組み合わせた名称の交差点名が、周辺一帯の地名としても用いられる(例:「四条河原町」)。(→「#市内の街路」「京都市内の通り」を参照のこと)
行政区

京都市は11の行政区より構成される(地理的位置順)。区名の読みと、設置年は以下の通り(自治体コード順)。京都市設置当初は上京区下京区の2区だったが[* 6]、数度の分区や合併を経て1976年(昭和51年)に現在の11区が揃った。

コード区名読み人口
(人)面積
(km2)人口密度
(人/km2)設立
26102-5上京区かみぎょうく83,0247.0311,809.961879年区制による
26106-8下京区しもぎょうく83,5296.7812,319.911879年区制による
26103-3左京区さきょうく163,169246.77661.221929年上京区から分区
26104-1中京区なかぎょうく110,2947.4114,884.481929年上京区と下京区から分区
26105-0東山区ひがしやまく35,2397.484,711.11929年下京区から分区
26108-4右京区うきょうく198,662292.07680.191931年葛野郡から
26109-2伏見区ふしみく270,49961.684,385.521931年伏見市紀伊郡などから
26101-7北区きたく114,59394.881,207.771955年上京区から分区
26107-6南区みなみく102,04815.786,466.921955年下京区から分区
26110-6山科区やましなく130,99928.704,564.431976年東山区から分区
26111-4西京区にしきょうく144,19159.242,434.011976年右京区から分区

人口

人口の推移[15][* 7]年人口(人)
1889年279,165
1890年288,867
1900年371,600
1910年470,033
1920年591,323
1930年765,142
1940年1,089,726
1950年1,101,854
1960年1,284,818
1970年1,419,165
1980年1,473,065
1990年1,461,103
2000年1,467,785
2010年1,474,015
2020年1,463,723
2021年1,453,956
2022年1,448,964
2023年1,443,486

京都市の人口は、国勢調査では1920年の第1回調査で神戸市に次ぐ全国4位になり、三都の一角、東京市・大阪市に次ぐ全国3位という状況は終焉を迎えた。神戸市とは同程度で推移するものの、名古屋市が台頭したため、戦前を通じて全国4位・5位という状況が続いた。1930年の第3回調査の後、1931年に大規模な市域拡張を実施して名古屋市を抜き返し、1932年に3番目の百万都市となったものの、1934年に4番目の百万都市となった名古屋市に1935年の第4回調査で再び抜き返されるという一幕もあった。

戦災被害が六大都市の中で最少だったことから、1945年11月の人口調査および1947年の第6回調査と1950年の第7回調査で全国3位になったが、それは一時的なものに過ぎず、1955年の第8回調査では名古屋市に次ぐ全国4位、1960年の第9回調査では横浜市に次ぐ全国5位になった。

他の大都市や一部の中小都市にみられるような、戦中・戦後における人口の急減・急増がなかったのが京都市の特徴であった。その後も1970年代から2010年代に至るまで、都市部にもかかわらず人口が147万人程度を推移し続け、人口の大きな増減がなかった。この間、1983年に札幌市、2011年に福岡市、2015年に川崎市に抜かれた。また、戦前は同程度で推移し、戦後は甚大な戦災被害による激減から回復してきた神戸市に1990年の第15回調査で抜かれ(翌1995年の第16回調査では、阪神・淡路大震災の影響もあり一時的に再逆転)、2000年代以降は抜き返せない状況にある。結果、全国9位にまで落ちたが、昼間人口では川崎市・神戸市を上回っている。

2015年の第20回調査から2020年の第21回調査の人口増減を見ると、0.8%減の1,463,723人であり、増減率は府下26市町村中7位。区別では最高が2.0%増の南区、最低が6.3%減の東山区。将来推計人口によれば、今後は減少し2045年に130万人を割り込むと予測されている[19]。2024年4月1日現在の人口は1,436,247人[20]コロナ禍の2020年と2021年は2年連続で1年間に最も人口が減少した市となった[21]


京都市と全国の年齢別人口分布(2005年)京都市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 京都市
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
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現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。

京都市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

健康


平均年齢:47.3歳(2020年(令和2年))[22]

隣接自治体
京都府
宇治市 長岡京市 南丹市 亀岡市 向日市 八幡市 乙訓郡大山崎町 久世郡久御山町
滋賀県
大津市 高島市
大阪府
高槻市 三島郡島本町
歴史エンゲルベルト・ケンペル方広寺大仏(京の大仏)のスケッチ[23]。かつて京都に存在し大仏として日本一の高さを誇っていたが、寛政10年(1798年)に落雷による火災で焼失した。八坂の塔※ここでは明治維新以後の京都市について述べる。以前の京都市の歴史については、京都を参照。
近代都市への変革

幕末に再び政治の中心地となった京都は人口が膨れ上がり、かつてない活況を見せたものの、禁門の変などで街の多くが焼けたのに加え、明治維新後に皇室公家の大半が東京へ移り住んだため、一転急速な衰退を見せた。江戸時代は「三都」と呼ばれ、享保14年(1729年)には374,000人、明和3年(1766年)に318,000人の人口を誇る江戸大坂に次ぐ都会であったが、明治維新後の1873年(明治6年)には238,000人までその人口が落ち込んだ程である。

そのため、京都府知事市制施行当初は京都市長も兼任)などから産業の振興を呼びかける声が上がり、京都府に復興の顧問として迎え入れられた山本覚馬は京都を何とかして復興させようとある計画を立ち上げる。


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