京橋駅
きょうばし
Ky?bashi
(0.5 km) 片町►
所属事業者西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線■片町線(学研都市線)
廃止年月日1997年(平成9年)3月8日
備考JR東西線開業により部分廃止
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当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として大阪環状線の大阪城公園駅・桜ノ宮駅・天満駅の3駅を管轄している。
歴史京橋駅周辺の空中写真(1975年3月撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
当駅所在地に鉄道が敷設されたのは、1895年8月に浪速鉄道が片町駅 - 四条畷駅間(現・片町線の一部区間)を開業させた時が最初であるが、駅は設置されなかった。当駅は、同年10月に大阪鉄道 (初代) が玉造駅 - 梅田駅(現・大阪駅)間(現・大阪環状線の一部区間)を延伸開業させた際に浪速鉄道との交点に設置したのが最初である。大阪鉄道の駅としては京橋(橋梁)に最も近接する駅であったことから、大阪鉄道は駅名に「京橋」を採用した。
浪速鉄道・大阪鉄道とも関西鉄道への譲渡を経て国有化され、それぞれ片町線・城東線の路線名が制定された後、1912年に片町駅の東側に京橋口乗降場が設けられ、城東線京橋駅と連絡するようになる。翌1913年には駅に格上げされて片町線京橋駅となった。
長らく片町線の終点で当駅の西隣にあった片町駅は、1997年のJR東西線の開業に伴い廃止され、以来当駅が片町線の終点駅・JR東西線の起点駅となった。
年表
1895年(明治28年)10月17日:大阪鉄道が玉造駅 - 梅田駅(現在の大阪駅)間(現在の大阪環状線の一部)を延伸させた際に設置[3]。
1898年(明治31年)1月1日:高橋常八駅長殉職。玉造駅発の列車が完全に停止する前に乗客達が先を争い扉を開けて下車しようとし、駅長は危険行為を制止しようと駆け寄ったが、開け放たれた扉に跳ね飛ばされ線路に落下、轢死した[5]。
1900年(明治33年)6月6日:大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継。同社の駅となる[6]。
1907年(明治40年)10月1日:関西鉄道が国有化[3]。国有鉄道の駅となる[6]。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定。当駅は城東線所属となる[6]。
1912年(明治45年)4月21日:片町線の片町駅に京橋口乗降場を開設[7]。城東線京橋駅と接続。
1913年(大正2年)11月15日:片町駅京橋口乗降場を格上げし城東線京橋駅と統合され、片町線京橋駅が開設[7]。1面1線の地平駅。
1945年(昭和20年)8月14日:京橋駅空襲で1トン爆弾が片町線ホームに命中、避難していた700-800人以上が死亡[6]。
1955年(昭和30年)1月25日:片町線複線化に伴い片町線ホームが島式1面2線になる。
1961年(昭和36年)4月25日:城東線が大阪環状線の一部となる[6]。
1970年(昭和45年):片町線の片町行ホームが完成。長尾方面行ホームと分離。
1971年(昭和46年)6月:西口駅舎竣工[8]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる[3]。
1990年(平成2年):国際花と緑の博覧会開催に伴い、臨時特急エキスポ雷鳥号[9]、エキスポくろしお号[10]が期間限定で乗り入れされる。
1997年(平成9年)3月8日:JR東西線の尼崎駅 - 当駅間が開業[11]。隣駅が片町駅から大阪城北詰駅となる。片町線の当駅 - 片町駅間が廃止[7]。
2003年(平成15年)11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[12]。
2009年(平成21年)10月4日:大阪環状線に大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2011年(平成23年)3月8日:JR東西線・学研都市線にJR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム導入。JR東西線・学研都市線ホームに接近メロディ導入。
2014年(平成26年)
1月31日:西口のみどりの窓口が営業終了。
2月1日:西口のみどりの券売機プラスが使用を開始。
3月15日:大阪環状線ホームに発車メロディを導入。曲は「大阪うまいもんの歌(ゆかいな牧場)」[13]。
2016年(平成28年)
3月19日:JR東西線ホーム(北新地・尼崎方面)に可動式ホーム柵が設置され、使用を開始[14][16]。
9月8日:車椅子利用者の男性が、同駅構内のホーム間を移動するにはエレベーターを5基も乗り継ぐ必要があり、憲法で保障された移動の自由を侵害しているとして、JR西日本を相手取り大阪地方裁判所に訴訟を提起[17]。