交響詩
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リストの死(1886年)の後、リヒャルト・シュトラウスニコラウス・レーナウによる『ドン・ファン』(1888年)や、シェイクスピアによる『マクベス』(1890年)、ドイツ民話による『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』(1895年)、ニーチェの哲学書による『ツァラトゥストラはこう語った』(1896年)、セルバンテスによる『ドン・キホーテ』(1897年)などを発表し、大規模な管弦楽を用いてリストの交響詩の概念を拡大した。1898年にはシュトラウスの交響詩としては最後の作品であり、従来の文学的な標題から完全に離れた個人的なテーマによる『英雄の生涯』を発表し、以後は「交響詩」から拡大された『家庭交響曲』(1903年)や『アルプス交響曲』(1915年)を作曲する。
国民楽派など

交響詩は、形にとらわれない民族主義的な音楽表現の形態として国民楽派の作曲家にも好まれ、自国の事物や伝説などに基づいた重要な作品が作られた(ロシアについては前述)。オーストリア=ハンガリー帝国に支配されていたチェコボヘミア)では、スメタナが1874年から1879年にかけて連作交響詩『我が祖国』を、1896年にはアメリカから帰国したアントニン・ドヴォルザークカレル・ヤロミール・エルベンの詩に基づく4曲の交響詩(『水の精』、『真昼の魔女』、『金の紡ぎ車』、『野ばと』)を作曲した。ロシア帝国に支配されていたフィンランドでは、ジャン・シベリウスがフィンランドの叙事詩『カレワラ』による『レンミンカイネン組曲(4つの伝説曲)』(1896年)、『ポホヨラの娘』(1906年)、『タピオラ』(1925年)など、多くの交響詩を作曲した(ギリシャ神話による『大洋の女神』のように民族主義的でないものも含まれる)。イタリアではオットリーノ・レスピーギがローマの歴史や遺跡などをテーマにした『ローマの噴水』(1916年)、『ローマの松』(1924年)、『ローマの祭り』(1928年)の「ローマ三部作」を作曲した。
交響詩の終焉と現在

交響詩は後期ロマン派の作曲家に好まれたが、ロマン派の時代が終了した後の近・現代音楽においては、ロマン派的な描写表現が重要でなくなり、交響詩の意味は失われた。

現代では、吹奏楽による交響詩も多く作曲されている。
主な作曲家と作品

日本語表記では、「交響詩『○○○』」と書かれることが多い。本項では「交響詩」は除いて記述する。
管弦楽編成による交響詩

リスト - 『人、山の上で聞きしこと』、『タッソー、悲劇と勝利』、『前奏曲』、『オルフェウス』、『プロメテウス』、『マゼッパ』、『祭典の響き』、『英雄の嘆き』、『ハンガリー』、『ハムレット』、『フン族の戦い』、『理想』、『ゆりかごから墓場まで

リヒャルト・シュトラウス - 『ドン・ファン』、『マクベス』、『死と変容』、『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、『ツァラトゥストラはかく語りき』、『ドン・キホーテ』、『英雄の生涯

ツェムリンスキー - 『人魚姫

シェーンベルク - 『ペレアスとメリザンド


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