交響曲
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また、最終楽章も主調ではないことがあり、最終的には主調にたどり着いて終わるもの(第1番第6番第10番)もあるが、平行調で終わるもの(第2番大地の歌)、半音上の調で終わるもの(第5番)、半音下の調で終わるもの(第9番)などもあり、調の扱いについても極限にまで拡大、または解体されている。交響曲第8番は、初演で独唱者7人と少年合唱、さらに2つの混声合唱団を伴った1千人余りによって演奏されたことから、『千人の交響曲』の異名を持つ巨大な作品である。リヒャルト・シュトラウスは初期に2曲の絶対音楽としての交響曲を書いているが、あまり注目されず、その後書かれた『家庭交響曲』や『アルプス交響曲』は初期の交響詩群を拡大させた標題音楽という意味で極めて高く評価されている。

国民楽派、民族楽派に分類される作曲家は後期ロマン派と時代が重なるが(広い意味でのロマン派でもある)、交響曲は彼らにとっても重要な表現手段であり、ドヴォルザークチャイコフスキーボロディンリムスキー=コルサコフグラズノフスクリャービンシベリウスニールセンエルガーヴォーン・ウィリアムスバックスハチャトゥリアンシマノフスキトゥビンらがそれぞれ3曲から9曲の交響曲(未完のものを含む、ただしトゥビンは11曲。)を残している。あまり注目されないが、ミャスコフスキーは27曲の交響曲を残しており、ブライアンはその交響曲第1番「ゴシック」で8管編成による当時史上最大の交響曲を残している。

現代においても交響曲というジャンルは残っているが、内容的に大きな変貌を遂げたものも含まれている。新ウィーン楽派においてはシェーンベルク室内交響曲のような形式の変容や、ヴェーベルン交響曲作品21のように完全に音列技法に組み入れられたのもある。ソナタ形式の伝統に連なる交響曲作家としては、プロコフィエフショスタコーヴィチが、今のところ最後の双璧である。以降も(古典的な意味での)交響曲を主たる表現手段とする作曲家はいるが、現代音楽の中心的な存在とはなっていない。

アイヴズの6つの交響曲(最後のユニヴァース交響曲は未完)、コープランドの4つの交響曲、メシアンの『トゥランガリーラ交響曲』、グレツキ交響曲第3番『悲しみの歌の交響曲』などの曲は有名であるが、形式や内容はロマン派の交響曲からは大きな隔たりがある。韓国の最初の大作曲家であるユン・イサンの交響曲は5曲あるが、本人は最後の題名付けに大変悩み、苦し紛れに半ばでっち上げで「交響曲」としたもので、内容を意識した物ではないとの見解を1990年当時示していた。

それでも現在も交響曲が作曲され、フィンランドの作曲家・指揮者のレイフ・セーゲルスタムは史上最多の200曲の交響曲を量産している。

日本における交響曲の受容は、山田耕筰が交響曲「かちどきと平和」を作曲したのが初めで、その後、諸井三郎橋本國彦が続き、金井喜久子による日本の女流作曲家として初めての交響曲(第1番。第1楽章?第3楽章は1940年初演、第4楽章は未完)の作曲を経て、伊福部昭矢代秋雄別宮貞雄松村禎三團伊玖磨黛敏郎柴田南雄林光吉松隆池辺晋一郎などが交響曲を作曲している。2013年には佐村河内守のアイデアを基に実際には新垣隆によって作曲された交響曲第1番『HIROSHIMA』がCD売上においてオリコン週間総合チャートで2位となり、交響曲としては異例のヒットを記録した[1]。テクノロジーが進歩した21世紀に於いては、コンピュータで交響曲を作曲・演奏し、双方向メディアで発表する者もいる。
交響曲の番号

ベートーヴェン以前は交響曲に限らず、絶対音楽をジャンル別に区分し、作曲あるいは出版順に通し番号を付与するという発想や習慣がなかった。


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