第三者の加筆を作曲者自身が承知していたのかどうかはともかく、それらがそのまま出版社に渡され、またチャイコフスキー自身が先述のロマノフ大公爵に宛てた手紙や、作曲中に甥のダヴィドフへの手紙で終楽章について「アダージョ」と語っていたこともあって、自筆譜の研究が行われるまでこういった経緯が判明することはなかった。
アンダンテ・ラメントーゾの終楽章での世界初録音をしたウラジミール・フェドセーエフは、フレージングからしてアンダンテで演奏すべきであると指摘し「チャイコフスキーは深い「感傷」より、あっさりとした「感情」を表現したかったのでは」と述べている[注 1]。また、ピアニスト兼指揮者のミハイル・プレトニョフは、「音楽の流れからすると、アンダンテの方が自然である」と述べている。
アンダンテ終楽章の「悲愴」のロシア初演は1990年4月4日にプレトニョフが、海外初演は同年10月にフェドセーエフがミュンヘンとフランクフルトで行っている。アンダンテ終楽章での日本初演は、チャイコフスキー没後100年の1993年6月20日にザ・シンフォニーホールで、同じくフェドセーエフが行っている。日本初演のコンサートは、『悲愴』初演時のプログラムを限りなく再現したコンサート(『悲愴』、ピアノ協奏曲第1番(ピアノ:タチアナ・ニコラーエワ)、モーツァルト:オペラ『イドメネオ』のバレエ音楽など)であった。
アンダンテ終楽章の録音はフェドセーエフが数回おこなっているが、いずれも10分から11分の間である。フェドセーエフの「アンダンテ」は、実際のところはムラヴィンスキー、マルティノン、カラヤン、ショルティ、アバドらの「アダージョ」に比べて1分から2分ほど遅い。SPレコード時代のもの(例えばメンゲルベルクの2種の録音など)のものに関しても演奏時間が少し速い傾向にあるが、SP盤に収めるためにスピードを速めて演奏している場合があるので、一概に同列には論じがたい。 テンポ以外でも、記号に関しても差異がみられる。ただし、テンポの場合同様にチャイコフスキー自身が記号の改訂にも承知していた可能性がある。 第4楽章における、出版譜と自筆譜の記号の差異(冒頭のテンポ表示は省略)小節出版譜自筆譜
記号について
楽章冒頭=54なし
12rallentandoなし
16Andante. =69なし
20?22Adagio poco meno che prima =60なし
37Andante =76なし
43poco animandoincalzando(ヴァイオリンi,ii)[20]
46ritenutoなし
47Tempo Iなし
51poco animandopoco animando(ヴァイオリンiにのみ)
54ritenutorit.(ヴァイオリンiにのみ)
55Tempo Iなし
59poco animandopoco animando(ヴァイオリンiにのみ)
61ritenutorit.(ヴァイオリンiにのみ)
62Tempo Iなし
67Animandoなし
73Piu mosso =96[21]Un poco stringendo[20]
77stringendoUn poco stringendo[20]
79Vivaceなし
82Andante =76Tempo I
90Andante non tanto =60なし
109stringendo moltostringendo
110なしincalzando[20]
112なしincalzando[20]
115なしPoco piu mosso[20]
116Moderato assai =88なし
121incalzandoなし
脚注
注釈^ これは、題名を決める際に「悲劇的」ではなく「悲愴」を採用したことも伏線となっている
出典^ 神崎正英 ⇒音楽雑記帖 - チャイコフスキー《悲愴》のタイトル
^ https://en.tchaikovsky-research.net/pages/Letter_5062