交通事故
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

また、救急医療の発達によって24時間以上生存しているだけで死者数はあまり減少していないという誤った認識が存在するが、2023年の30日以内死者数は3,263人[28]、2022年の1年以内死者数は3,541人[29]であり、30日以内死者数は統計を取り始めた1993年以降3番目(最も少ないのが2021年の3,205人)、1年以内死者数は1948年以降で2番目(最も少ないのが2021年の3,536人)に少ない人数となっている[29][24]。なお、2019年コロナウイルス感染症対策の行動制限緩和により外出する際、車を使う機会が増えたことで24時間以内死者数は2023年より、30日以内と1年以内の死者数は2022年から増加している[30]

年齢をみると、2023年の65歳以上の高齢者が交通事故の死者数で占める割合は約54.7%であり、2010年以降は2011年を除いて死亡者の半分以上を高齢者が占める状態が続いている(割合で最も多かったのが2021年の約57.7%)[31][32]。高齢者人口の増加と高齢者の致死率がほかの年代より高いことが要因となっている[33]。また、2016年6月の交通事故総合分析センターの調査によると、歩行者の死傷者数では(歩行者に違反のない事例を含め)7歳が突出して多く[34]、成人の2.5倍[34]、高齢者の約2倍[34]である。原因としては、交通ルールや危険を察知する能力が十分身につかないまま、登下校など保護者のもとを離れて行動する機会が増えることが挙げられる[34]

2022年の交通事故による人口10万人当たりの1年以内死者数は2.9人であり、これは他の死亡原因と比較すると、火事の0.8人、他殺の0.2人より多いが、地震の14.9人(東日本大震災のあった2011年の数値[35])、自殺の17.4人よりは少ない[36]

2021年4月8日には、1日ごとの交通事故の統計を取り始めた1968年以降初めて、1日を通して全国で交通事故による死者が1人もでなかった[37][38]ことが発表された。

2023年1月4日に発表したところによれば、2022年の交通事故の死者は2610人で、統計を取り始めた1948年以降の最少を6年連続で更新した。都道府県別では大阪が141人で初めて全国最悪になった。ついで愛知137人、東京132人、千葉124人、兵庫120人の順で多かった。人口10万人あたりでは、岡山の3.94人が最多で、最少は東京の0.94人だった[39]
発生件数

国内の自動車保有台数の増加により交通事故も比例して増加し、2004年には95万2709件を記録した。その後、国内の自動車保有台数は8000万台程度で安定し、2024年1月時点では自動車保有台数が約8,302.5万台と最も多くなっているが、事故発生件数は2023年で30万7,930件と2022年(30万839件)より増加している。なお、自動車保有台数が約3518万台と現在の半分以下だった1979年の47万1,573件以降で、2022年に次いで2番目に少ない件数である[25]
負傷者数

事故発生件数と連動して1990年代より増加し、1999年から2007年までは連続して年間負傷者数100万人を突破し、2004年には118万3,616人を記録した。その後、事故発生件数と共に減少傾向にあり、2023年の負傷者数は36万5,595人となっている[25]。なお、2023年は2019年コロナウイルス感染症対策の行動制限緩和により外出する際、車を使う機会が増えたことで、2022年(35万6,601人)より増加している。
歴史

第二次世界大戦以前
1926年(大正15年、昭和元年)、東京都だけでも交通事故による死者約230人、負傷者9800余人を記録した[40]

戦後 ? 1960年代 第一次交通戦争の始まり
戦後の高度経済成長期に自動車保有率の上昇と呼応して交通事故が増加し、1959年には年間交通事故死者数が1万人を突破する事態となった。戦争でもなく膨大な数の人が犠牲となることから「交通戦争(第一次交通戦争)」と比喩される事となった。特に1970年は、自動車保有台数が1652万台程度で、交通事故により年間1万6765人(1年以内死者数では約2万2千人)が死亡し、史上最多の年となった。交通事故発生件数も、1969年には第一次交通戦争の終了までで最も多い72万880件となった。

1970年代 第一次交通戦争の終了 交通事故対策の始まりによる事故発生件数、死者数の減少
警察道路管理者などが教育と対策に取り組んだこと、シートベルトの普及等の自動車の安全性が向上したこと、道路の拡幅や歩車分離、横断歩道や交差点における信号機の設置・拡充といった道路整備等の交通環境の改善が進められたこと、さらには自動車保有台数もオイルショックによる不況もあって頭打ちとなったこと等で、事故率、死亡率が減少し、事故件数、死者数ともいったん減少した。交通事故死者数は、1976年には再び1万人を割り、1979年には第一次交通戦争の開始から最も少ない8048人となった。交通事故発生件数も、1977年には第一次交通戦争の開始から最も少ない46万649件となった。

1980年代 ? 1990年代 第二次交通戦争の始まり 事故率の下げ止まりと自動車保有台数の増加による事故件数、死者数の増加
1980年代に入り、第一次交通戦争から始まった安全対策が普及しきったことから、減少し続けてていた交通事故発生率が下げ止まった。自動車保有台数、走行距離を加味した交通事故率の指標である死傷事故率[注釈 3]は、1970年には300(件/億台キロ)を超える水準だったが、1980年には120(件/億台キロ)程度まで下がった。しかし、その後2010年頃まで約30年間にも渡り、事故率は約120?100(件/億台キロ)の範囲で横ばいとなってしまった[41]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:111 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef