一級河川「高梁川」の支流である小田川が広島県神石郡神石高原町を源に北から南に流れ、市の中心部で東方向、即ち小田郡矢掛町方向に流れを変える。北と南を山・丘陵に挟まれた盆地を形成している。また芳井地域や美星町地域をはじめとする市内北部は標高400?500メートルの石灰岩質のカルスト台地の上に集落が広がっている。 氏名就任日退任日備考注釈・出典 市・行政組合 公式マスコット 繊維・自動車部品工業・電子部品・食品容器製造・鉱業などが盛ん。 大規模小売店舗立地法に基づく商業施設は次のとおり。
隣接している自治体
岡山県
笠岡市
総社市
高梁市
小田郡矢掛町
広島県
福山市
神石郡神石高原町
歴史平成の合併前の市域
年表
市制施行前
鎌倉時代に御家人であった那須氏の庶流が備中に下向し、当地にあった荏原荘を所領とする。
1471年(文明3年) : 荏原荘の領主であった室町幕府高官伊勢新九郎盛時が領内の法泉寺に「平盛時」の名で禁制文書を残している。盛時は後1476年(文明8年)に甥の今川氏親の家督相続を助けるため駿河国に下向して東国に勢力を築き、北条早雲として知られるようになる。
1619年(元和5年) : 徳川家康の従兄弟水野勝成が西国鎮衛の役目を命じられ、備後国東南部・備中国西南部の10万石に転封。高屋地域は福山藩領、そのほかの地域は一橋領(1746年以降)・池田家旗本領となる。
1697年(元禄10年) : 西江原に森氏2万石の西江原藩が成立し、10年間存続する。
1698年(元禄11年) : 水野家5代藩主水野勝岑死去。無嗣除封に伴い、福山藩領のうち現在の井原市分の大半は幕府領や旗本領となる。
1871年(明治4年) : 明治維新後の廃藩置県により、福山県に編入、のちに改称され、深津県となる。
1872年(明治5年) : 深津県と倉敷県が統合し、小田県となる。
1875年(明治8年) : 小田県は岡山県へ編入され、岡山県に属する自治体となる。同時に福山など備後5郡は広島県に移管された。
市制施行後
1953年(昭和28年) : 4月1日、後月郡井原町・西江原町・高屋町・荏原村・木之子村・県主村・青野村・山野上村、小田郡稲倉村・大江村の3町7村が合併、市制を施行。
1966年(昭和41年): 8月26日、日本鋼管福山製鉄所が完成する。翌年7月に原料の石灰石産出のため鋼管鉱業(現JFEミネラル)芳井鉱業所が開設される。
2005年(平成17年) : 3月1日、後月郡芳井町、小田郡美星町を編入。
行政
市長
大舌勲(2018年9月16日就任、2期目)
歴代市長
初代大山文雄1953年4月30日1965年4月29日[2]
2代山岡昇1965年4月30日1973年4月29日[2]
3代小野強1973年4月30日1985年4月29日[2]
4代西山公夫1985年4月30日1990年8月6日交通事故により殉職。[2]
5代谷本巖1990年9月16日2006年9月15日元助役。任期満了による選挙により落選。
以後、6代目市長を後継者として支援。[2]
6代瀧本豊文2006年9月16日2018年9月15日3期目は旧芳井町・美星町編入後初となる無投票。[2][3]
7代大舌勲2018年9月16日 - 現職
公共機関
井原市役所
本庁、芳井支所、美星支所
井原地区消防組合井原消防署
井原消防署、芳井分署、美星分署
井原市立図書館
井原図書館、芳井図書館、美星図書館
井原市民病院
美星国保診療所
井原市民会館
アクティブライフ井原(井原中央公民館)
井原ふるさとハローワーク : ハローワーク笠岡の井原出張所の廃止に伴い「井原地域職業相談室」として設置、2010年(平成22年)4月より現名称。
その他
でんちゅうくん[4] : 市制施行60周年を記念し、市内出身の彫刻家・平櫛田中の作品『鏡獅子』をモチーフに作成され、2013年(平成25年)6月1日にデビュー[5][6][7]。
議会詳細は「井原市議会」を参照
定数:定数18人(欠員1)[8]
任期:2025年4月29日任期満了[9]
議長:三宅文雄
経済
産業
井原精機 : 本社所在地、自動車部品。
化繊ノズル製作所 : 繊維ノズル製造大手。
片山工業
シーピー化成 : 本社所在地、食品トレー大手(旧名:中国パール化成)。
JFEミネラル芳井鉱業所 : 製鉄用石灰岩採掘(旧名:鋼管鉱業)。
タカヤ : 本社所在地、繊維・電子部品。
タツモ : 本社所在地。
日本綿布
商業
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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