児童劇団白樺[17]、蟻の会[17]、つくしグループ(創立メンバー)[17]、文学座[18]、草の会[18]、劇団表現座[18]、富士放送プロを経て青二プロダクションに所属、アニメにも多数出演するようになり、第1次声優ブームが起きると富山敬、神谷明と共に「声優御三家」の一人となる[19]。 2017年10月から自身のTwitterアカウントを開設し[注 2][20]、80歳を超えた後も「キングダム ハーツ シリーズ」でマスター・エラクゥス役として出演していた他、講演会・読み聞かせの開催、「伊能 絵巻(いのう えまき)」名義での作詩活動や小説の執筆など晩年も精力的に活動を行っていた。死去の4ヶ月前には「生涯現役プロジェクト」を掲げ、10月からYouTubeチャンネルを開設し、スタッフとのウェブラジオ配信も開始していた[20][21]。 自身の誕生日の前日である2019年11月29日、持病の狭心症が悪化し急性心臓死を発症したため、千葉県内の自宅で死去[10][22]。80歳没。ゲーム『スーパーロボット大戦T』でのハーロックが遺作となり[23]、声優としての最後の仕事は、同年2月に収録された『劇場版銀河鉄道999』40周年記念企画上映会用のコメントとなった[24]。「生涯現役プロジェクト」についてはスタッフや井上の家族により、今後も継続されることが発表された[25][26]。 声優業では主人公から悪役までさまざまな役をこなしている。『宇宙海賊キャプテンハーロック』のハーロックの前に主役を演じていたのは『男どアホウ甲子園』の藤村甲子園、『ミクロイドS』のヤンマといった明るいキャラクターが多かった[28]。なかでもクールな二枚目役を得意とし[4]、花形満などのライバル役を演じることが多かった。井上自身は1970年代のインタビューで「半分大人っぽいような、半分子どもっぽいような不安定な年齢層の役が多いですね。言いかえれば少年あがりの青年役ですか」「僕の中に演技的な流れがあるとすれば、少年風なものとニヒルでクールなものの二つの流れだと思うんです」としている[16]。 第二次世界大戦を経験。7歳頃に甲府空襲で自宅を失い、その影響による栄養失調で乳幼児だった末弟を亡くしている[29][30][31]。このことは「思い出したくない」と長年公表していなかったが、最晩年には戦争体験を語れる世代が減り「戦争をしたがる人、不感症の人が増えてきた」と感じたことから、SNSや講演会で話すことがあった[32][33]。 漫画家になりたかった時期もあり、小学校時代は、家に帰ると、隣の男子と物置きに閉じこもっており、画用紙とペンを持って毎日一生懸命描いていたという[3]。あの頃は手塚治虫がうけていたことから、手塚治虫の模写を一生懸命していたという[3]。 役者になる前は詩人になることを志望しており、学生時代には吉田一穂門下の添田邦裕に弟子入りしたこともある。そのため、日本作詩家協会に所属していたほか、『アニメージュ』で詩の連載をしたこともあった[注 3]。
晩年・死去
特色・人物