井上 真樹夫(いのうえ まきお、1938年〈昭和13年〉11月30日[5][9][注 1] - 2019年〈令和元年〉11月29日[10])は、日本の俳優、声優、作詞家。山梨県甲府市出身[4][5][3]。青二プロダクションに所属していた。 山梨県甲府盆地の南端の田園地帯で生まれ育つ[9]。小学2年生の時には兄に手を引かれ、田んぼの向こうの工場で行われた村芝居を見ていたという[2][9]。その後、一家とともに東京に移住し[9]、中学生の時、移動劇団の『チルチルミチル』を観劇したことがきっかけで芝居の道を志す[11]。中学・高校時代は演劇部に所属していた[3]。 東京都立文京高等学校[2][12]に進学後、在校中に東京アナウンス・アカデミーへ入学[9]。16歳頃にはテレビドラマに出演を開始し、演劇部の活動にも熱中[9]。高校3年生の時には教師に「芝居はほどほどにして受験勉強を」と説教されるが、これに猛反発し「だったら意地でも芝居やってやる」と決意[2]。卒業間近であったが、東京都立北園高等学校[2][12]夜間部に転校した[9]。 1960年頃には寺山修司にインスパイアされ、寺山と対面したのち[13]、友人と共にアングラ劇団(劇団表現座)を設立[8]。旗揚げ公演の『アダージョ』では主演を務めた[14]。なお、設立直後には寺山から天井桟敷の設立に誘われたことがあったという[15]。 しばらくして、舞台の成立が困難になったり生活が苦しくなったりしたため「お金を稼がなきゃ」と思っていたところ、知り合いのマネージャーに誘われ『ドビーの青春』の吹き替えオーディションに参加、主役に抜擢され出演したことがきっかけとなり、声優業を行うようになる[8][16]。アニメでのデビューは『鉄腕アトム (アニメ第1作)』[3]。 児童劇団白樺[17]、蟻の会[17]、つくしグループ(創立メンバー)[17]、文学座[18]、草の会[18]、劇団表現座[18]、富士放送プロを経て青二プロダクションに所属、アニメにも多数出演するようになり、第1次声優ブームが起きると富山敬、神谷明と共に「声優御三家」の一人となる[19]。
略歴
生い立ち
キャリア