自身の誕生日の前日である2019年11月29日、持病の狭心症が悪化し急性心臓死を発症したため、千葉県内の自宅で死去[10][22]。80歳没。ゲーム『スーパーロボット大戦T』でのハーロックが遺作となり[23]、声優としての最後の仕事は、同年2月に収録された『劇場版銀河鉄道999』40周年記念企画上映会用のコメントとなった[24]。「生涯現役プロジェクト」についてはスタッフや井上の家族により、今後も継続されることが発表された[25][26]。 声優業では主人公から悪役までさまざまな役をこなしている。『宇宙海賊キャプテンハーロック』のハーロックの前に主役を演じていたのは『男どアホウ甲子園』の藤村甲子園、『ミクロイドS』のヤンマといった明るいキャラクターが多かった[28]。なかでもクールな二枚目役を得意とし[4]、花形満などのライバル役を演じることが多かった。井上自身は1970年代のインタビューで「半分大人っぽいような、半分子どもっぽいような不安定な年齢層の役が多いですね。言いかえれば少年あがりの青年役ですか」「僕の中に演技的な流れがあるとすれば、少年風なものとニヒルでクールなものの二つの流れだと思うんです」としている[16]。 第二次世界大戦を経験。7歳頃に甲府空襲で自宅を失い、その影響による栄養失調で乳幼児だった末弟を亡くしている[29][30][31]。このことは「思い出したくない」と長年公表していなかったが、最晩年には戦争体験を語れる世代が減り「戦争をしたがる人、不感症の人が増えてきた」と感じたことから、SNSや講演会で話すことがあった[32][33]。 漫画家になりたかった時期もあり、小学校時代は、家に帰ると、隣の男子と物置きに閉じこもっており、画用紙とペンを持って毎日一生懸命描いていたという[3]。あの頃は手塚治虫がうけていたことから、手塚治虫の模写を一生懸命していたという[3]。 役者になる前は詩人になることを志望しており、学生時代には吉田一穂門下の添田邦裕に弟子入りしたこともある。そのため、日本作詩家協会に所属していたほか、『アニメージュ』で詩の連載をしたこともあった[注 3]。なお、芸名の「真樹夫」は、弟子入りの際名付けられた筆名「真樹岑」(読み同じ)を読みやすく変えたものである[34]。 かつてはフランス映画が好きであり、それが高じて高校卒業後はアテネ・フランセ仏語科に進学していた。同期生にはなかにし礼がいる[35]。 晩年は禅宗の僧となり、慈孝という僧名を持っていた[36]ほか、千葉県内の寺で住職を務めていた[10]。小林清志は羽佐間道夫との対談で井上が「住職の息子」だと発言している[37]が、これについて井上本人は「息子ではない」と否定している[38]。また、長期休暇には山寺に籠もり数日間ひたすら坐禅するなど修行の旅にも出ていた[39]。 趣味は古書収集[40]。読書家であり、小林清志は井上を追悼コメントの中で「なかなかの文学青年だった」と評している[41]。また、パソコンにも造詣が深く、本人曰く「8ビット時代から25台ほどつぶしている」とのこと[42]。 落語家の三遊亭小圓遊は同じ高校の1年先輩であり、演劇部で一緒だったことから親交があった[43][44]。 『ルパン三世』で共演していた栗田貫一は、追悼の際に「いつもいつも優しくしてくれた素晴らしい大先輩でした」とコメントしている[41]。
特色・人物