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いのうえ よう
井上 瑤
プロフィール
本名漆川 由美(しつかわ ゆみ)[1][2]
愛称瑤さん
性別女性
出身地 日本・東京都品川区大崎[2]
死没地 日本・東京都目黒区[3]
生年月日 (1946-12-04) 1946年12月4日
没年月日 (2003-02-28) 2003年2月28日(56歳没)
血液型AB型(RH+)[4]
職業声優、放送作家、占い師、ダンサー
事務所東京俳優生活協同組合(最終)[5]
配偶者あり(後に離婚、死別)
公称サイズ(時期不明)[4]
身長 / 体重152.5 cm / 39.5 kg
活動
活動期間1975年 - 2003年
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井上 瑤(いのうえ よう、1946年12月4日[2][6] - 2003年2月28日[1][3][7])は、日本の女性声優、放送作家、占い師、ダンサー。東京都品川区大崎出身[2]。 幼女期は目黒川の川っぺりを、泥んこになりがら過ごしていた[2]。 幼稚園の頃は学校の教師になることを夢を見ていたが、その頃に始めたモダンダンスに魅力に取りつかれて小学生になった頃にはステージダンサーになることを決める[2]。 小学中学時代は、学校から帰宅してから机にかじりついてガリ勉していたわけではなかったが成績は優秀だった[2]。その上、水泳の名手で歌唱力も十分であり、頭がいい上に、行動力に富み、人付き合いもよかったという[2]。生来から目立ちたがり屋だったことから、圧倒的に役者になりたく学芸会ではスターだった[2][4]。しかし高校時代には、井上自身でも「ありゃりゃ……」と驚くほど成績が悪くなり、体操、音楽、国語だけは5だが、あとの課目は全部2ばかりで数学、化学は、サッパリだめだった[2]。その時に自分の長所、短所を知って演劇人になることを決めた[2]。 大学時代の放課後は、「好きな演劇を」と思い、劇研に所属していた[2]。当時の訓練は、毎日腹筋運動50回、発音・発声から滑舌法、歩き方等々、プロの俳優訓練も顔負けの猛特訓で、入会早々度肝を抜かれたが、この特訓により、演劇人としての基礎を身につけることができたという[2]。大学時代の卒論は「対人認知」で他人と接した場合、その人物をどう認識するか、という心の問題に取り組んだものだった[2]。芝居がしたかったことから教職課程は敢えてとらなかったという[2]。卒業後は早稲田小劇場に進んだが、劇団自体が主宰者を中心にガッチリ組織され、そういう雰囲気に自分の体質とまったく合わなかったことから1年で退団[2][4]。劇団退団後、ブラブラしていたところ、友人が「銀座に気軽なバーがあるから勤めてみないか」と誘いをかけてくれて、酒も飲めなかったが、ノコノコと出かけてみたという[2]。当時は店の雰囲気は気軽で、服装もジーパン姿で結構という客層もマスコミ関係の若いアーティストが多く明るく、自分の陽気な性格に「ピッタリ」と思い、ここで働くことにしていた[2]。新しい感覚のマスコミ関係者たちと接して、大いに学ぶことができ、アルバイトで始めたTBSの朝のテレビ番組『ヤング720』を皮切りに放送タレントの道へ[2][4]。当初はタレントになろうという気はなかった[4]。テレビに出はじめて3か月目ぐらいに街歩いたところ人が指さし、井上はタレントになったつもり全然ないことから、原因がわからず、気持ち悪かったという[4]。クイズ番組『ベルトクイズQ&Q』の声、『モーニングジャンボ』などTBSのテレビ番組に出演[2]。
略歴[8]、同人舎プロダクション[9]、ピラミッド[4]、ドゥ・コーポレーション[10]、オフィス央、ぷろだくしょんバオバブ、大沢事務所[6]、東京俳優生活協同組合[5]などに所属した。
生い立ち
キャリア