井上瑤
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クイズ番組ベルトクイズQ&Q』の声、『モーニングジャンボ』などTBSのテレビ番組に出演[2]。テレビに出演後に気付いたことは、視聴者に顔を知られると、街を歩くのが不自由になることだった[2]。その時に「テレビだ!」とハタと気づいたワケで以後、声の仕事に切りかえた[2][4]。デモテープを制作して、紹介されていた十社ほどの番組製作会社に持ち込み、CM、DJの仕事が舞い込み、声優としての活動を始める[2]

初レギュラーは『シートン動物記 くまの子ジャッキー』のアリス役[2][11]。当初、アニメの仕事は苦手であり、アテレコのある日は朝から腹が痛くなっていたという[2]。アニメの売れっ子になった後も「絵は演技をしてくれないから、こちらが懸命に演じていかなければならないので大変、とてもエネルギーの消耗する仕事」と言っていた[2]。それだけに、絵のキャラクターに近づく努力をしていたところ、絵のほうが逆にこちらにぐんぐん接近してくるように感じることがあり、その時には、嬉しくなっていたという[2]

声優活動以外にも自分の出演番組の台本を書いていたことから、放送作家の仕事が舞い込むようになり、1980年代初めまで、『お笑い頭の体操』『相性診断ピッタンコ』などの構成台本や『クイズダービー』の問題作成の仕事を行なった[4]。同時期には西田堯の下でモダンダンスを学び、国立劇場、日生劇場の舞台に立つ。また「レイ・ホシコ」という名の占い師という顔も持つなど、多才ぶりを発揮していた。
晩年・死去

2000年放映開始の『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』に獏良了役でキャスティングされていたが、体調不良のため41話までで降板。同役は松本梨香が最終回まで継いだ。

古谷徹によると2001年の冬に癌が見つかり、その時点でかなり進行していた[7]2002年、手術をして快方に向かったが、2003年時点でほんの数ヶ月前に再発[7]

2003年2月28日9時29分、東京都目黒区の病院で肺水腫のため死去、56歳没[3]。葬儀には『機動戦士ガンダム』で井上の担当したキャラクターであるキッカ・キタモトハロの人形が飾られた。最後の声優参加は、ニンテンドーゲームキューブ用ゲーム『機動戦士ガンダム 戦士達の軌跡』のセイラ・マスである。このゲームには、エンディングにスタッフからのメッセージが表示され、ゲーム発売前に亡くなった井上への追悼の言葉が含まれている。喪主は実弟が務めた。
人物・エピソード

役柄は知的な女性役とやんちゃな少年役を同時にこなしていた
[11]

150cmほどの小柄で痩せた体つきに童顔であったため、20歳代後半になっても子供と間違われることがたびたびあったという[4]。夜分遅く仕事帰りに町を歩いていたら、警察に「お嬢ちゃん」と呼び止められ、既に人妻(後に離婚)であり、年齢・経歴を話しても信じてもらえなかったというエピソードが存在する。

明るくインテリな性格の反面、行動力には優れており、思い立つとすぐに実行するタイプであった。数々の海外旅行はその例である[12]

1982年頃に三ツ矢雄二汀夏子のラジオ番組『VAPOUT』にゲスト出演した際、容姿を見た汀に「原始人のよう」と言われた[要出典]。

1970年秋にクラシックのギタリストと結婚したが、『闘将ダイモス』のカイロ役を演じていた頃、相手の女性問題で7年と9ヶ月で離婚した[2][4]。しかし1981年時点では結婚していたことに感謝しており、7年9ヶ月は人間的な財産として残ったと語り、この前、偶然、相手から電話があったことから「ありがとう」とお礼言っていたという[4]。新たな人生のスタートを切った矢先、10年以来、病の床にあった母が癌で死亡[2]。涙のかれるほど泣いたあと、本当の新しい人生が始まり、『プラレス3四郎』のシーラ・ミスティ役、『スプーンおばさん』のバケット役、『さすがの猿飛』の出門葉子役、『うる星やつら』のラン役と子供から変人・奇人の類のキャラまで、幅広く演じることができ、当時の若手声優の中でも貴重な存在となったという[2]

1984年2月末から1985年5月上旬まで、1年3か月に渡ってインドなど6カ国へ旅行。


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