初レギュラーは『シートン動物記 くまの子ジャッキー』のアリス役[2][11]。当初、アニメの仕事は苦手であり、アテレコのある日は朝から腹が痛くなっていたという[2]。アニメの売れっ子になった後も「絵は演技をしてくれないから、こちらが懸命に演じていかなければならないので大変、とてもエネルギーの消耗する仕事」と言っていた[2]。それだけに、絵のキャラクターに近づく努力をしていたところ、絵のほうが逆にこちらにぐんぐん接近してくるように感じることがあり、その時には、嬉しくなっていたという[2]。
声優活動以外にも自分の出演番組の台本を書いていたことから、放送作家の仕事が舞い込むようになり、1980年代初めまで、『お笑い頭の体操』『相性診断ピッタンコ』などの構成台本や『クイズダービー』の問題作成の仕事を行なった[4]。同時期には西田堯の下でモダンダンスを学び、国立劇場、日生劇場の舞台に立つ。また「レイ・ホシコ」という名の占い師という顔も持つなど、多才ぶりを発揮していた。 2000年放映開始の『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』に獏良了役でキャスティングされていたが、体調不良のため41話までで降板。同役は松本梨香が最終回まで継いだ。 古谷徹によると2001年の冬に癌が見つかり、その時点でかなり進行していた[7]。2002年、手術をして快方に向かったが、2003年時点でほんの数ヶ月前に再発[7]。 2003年2月28日9時29分、東京都目黒区の病院で肺水腫のため死去、56歳没[3]。葬儀には『機動戦士ガンダム』で井上の担当したキャラクターであるキッカ・キタモトとハロの人形が飾られた。最後の声優参加は、ニンテンドーゲームキューブ用ゲーム『機動戦士ガンダム 戦士達の軌跡』のセイラ・マスである。このゲームには、エンディングにスタッフからのメッセージが表示され、ゲーム発売前に亡くなった井上への追悼の言葉が含まれている。喪主は実弟が務めた。
晩年・死去
人物・エピソード
役柄は知的な女性役とやんちゃな少年役を同時にこなしていた[11]。
150cmほどの小柄で痩せた体つきに童顔であったため、20歳代後半になっても子供と間違われることがたびたびあったという[4]。夜分遅く仕事帰りに町を歩いていたら、警察に「お嬢ちゃん」と呼び止められ、既に人妻(後に離婚)であり、年齢・経歴を話しても信じてもらえなかったというエピソードが存在する。
明るくインテリな性格の反面、行動力には優れており、思い立つとすぐに実行するタイプであった。数々の海外旅行はその例である[12]。
1982年頃に三ツ矢雄二と汀夏子のラジオ番組『VAPOUT』にゲスト出演した際、容姿を見た汀に「原始人のよう」と言われた[要出典]。
1970年秋にクラシックのギタリストと結婚したが、『闘将ダイモス』のカイロ役を演じていた頃、相手の女性問題で7年と9ヶ月で離婚した[2][4]。しかし1981年時点では結婚していたことに感謝しており、7年9ヶ月は人間的な財産として残ったと語り、この前、偶然、相手から電話があったことから「ありがとう」とお礼言っていたという[4]。新たな人生のスタートを切った矢先、10年以来、病の床にあった母が癌で死亡[2]。涙のかれるほど泣いたあと、本当の新しい人生が始まり、『プラレス3四郎』のシーラ・ミスティ役、『スプーンおばさん』のバケット役、『さすがの猿飛』の出門葉子役、『うる星やつら』のラン役と子供から変人・奇人の類のキャラまで、幅広く演じることができ、当時の若手声優の中でも貴重な存在となったという[2]。
1984年2月末から1985年5月上旬まで、1年3か月に渡ってインドなど6カ国へ旅行。インドには6か月半滞在した[13]。この旅行のために、『うる星やつら』のラン役など当時レギュラーで出演していたキャラクターは、一旦すべて降板した。ラン役は小宮和枝が引き継いだ。この間に『機動戦士Ζガンダム』にセイラが1カット登場したが、セリフはなかった。
『うる星やつら』では前述のとおり、長期の海外旅行のためにラン役を降板しているが、1986年公開の『うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』では友引町役、原作の最終エピソードを映画化した1988年公開の『うる星やつら 完結篇』では、闇の世界の住人・カルラ役で出演している。なお、帰国後もラン役には復帰していない。
占い師として、人気絶頂の頃のYMOを1983年頃活動を終えると予言したり(坂本龍一を姓名判断した際、細野晴臣と衝突、分裂するだろうと予言)、テレビで見た人物に対して「近々、いいことがありそう」などと評して的中させたという。また『スネークマンショー』で共演した伊武雅之に「名前の最後の字を2画の字にするといい」とアドバイスし、伊武はそのアドバイスを受け入れ、現在の芸名・伊武雅刀に改名した。
裁縫・料理ともに得意で、スタジオ内で声優仲間に手作りの食べ物をわけたり、非常にもてなしの精神に富んでいた。なお、古谷徹は彼女の作るカレーについて「とても美味しかったんだけど、ものすごく辛かった」とコメントしている[14]。
シャア・アズナブル役の池田秀一によると、井上はセイラ・マス役でもミスを出さないほど、役への入れ込み・声優としての実力において優れていたという[15]。なお、池田は井上を「アルテイシア」と呼んでいた。
井上がとりわけ気に入っていた作品としては、NHK『こどもにんぎょう劇場』を本人が挙げている。ラジオ形式の仕方でとられるこの作品は、井上の録音後それにあわせて人形が動くため、井上の演技が問われるところとなり、本人はこどもの反応などを注意しつつ演じていた。こどもに想像力を与えるこうした作品は、井上にとって非常に大切であったという[16]。
『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』で共演した近藤孝行によれば、井上は収録当時に体調を崩し辛そうにしている近藤を見て、最後まで優しく背中を擦ってくれたという(その後、近藤は大病が発覚して入院することになり、一度降板した)。井上自身もこの時すでに体を壊していたかもしれないにもかかわらず、自身の体調を気にかけてくれたため、近藤は井上の人柄を「僕にとっては本当に天使の様な方でした」と述懐している[17]。
オーストリア人の夫ピーターとは南インドで知り合い、交際後結婚。井上が母親の死により意気消沈していた頃、「インドが呼んでいる気がする」という直感のもと、インドへ旅行。