井上 和彦(いのうえ かずひこ、1954年3月26日[11][12][13] - )は、日本の声優、ナレーター[6]、舞台俳優、音響監督。神奈川県横浜市南区浦舟町、西区久保町出身[3][5]。B-Box所属[8]。 神奈川県横浜市南区浦舟町の横浜医科大学付属病院(現:横浜市立大学附属市民総合医療センター)[注 2]で誕生[3]。出生時は3600gであり、祖母が「おお、随分黒いオチンチンだ。丈夫になるぞ」と言ったという[3]。その後、高校卒業まで西区久保町で育つ[3][5]。 横浜市立稲荷台小学校[14]、横浜市立岩井原中学校[14]を経て横浜市立横浜商業高等学校[13][15]を卒業。高校3年生位の頃、早朝ボウルがあり、ボウリング[注 3]を始める[3]。学校で決められた所に行くのは嫌であり、駅弁をもって何処かへ行くようであり、手作りの弁当でなければ食べた気しなく「じゃボウリング[注 3]場にしよう」ということで、当初は声優や役者の仕事に興味がなく、当時大ブームだったプロボウラーを目指して高校卒業後、ボウリング場に就職する[2][3][16][17]。しかし、思い描いた理想と現実のギャップに戸惑い、人と話すことが苦手になり半年で退職する[16][17]。井上は当時を振り返って「色んなことがあって人間不信に陥り、他人が乗っているエレベーターに一緒に乗ることさえ苦痛だった」と語っている[16]。その後、2か月ほど一人暮らしのアパートに引きこもって過ごすが、生きるために働かねばと発奮し、テレビ局の大道具係の仕事を始める。井上は「道具を扱うだけの仕事だろう」と高をくくって選んだと語っているが、実際にやってみたらハードで驚いたという。しかし、この仕事で心身ともに弱っていた自分が強くなれ、感謝していると語っている[16]。 そんな折、ボウリング場勤務時代の同僚が声優になりたいと言うので、当時銀座にあった養成所・テレビタレントセンター東京校の試験を一緒に受けることになる[16]。
来歴
生い立ち