井上和彦_(声優)
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公称サイズ(時期不明)[9]
身長 / 体重174[6][8] cm / 75 kg

声優活動
活動期間1973年[10] -
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
デビュー作兵士(『マジンガーZ』)[10]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

井上 和彦(いのうえ かずひこ、1954年3月26日[11][12][13] - )は、日本声優ナレーター[6]舞台俳優音響監督神奈川県横浜市南区浦舟町西区久保町出身[3][5]B-Box所属[8]
来歴
生い立ち

神奈川県横浜市南区浦舟町の横浜医科大学付属病院(現:横浜市立大学附属市民総合医療センター[注 2]で誕生[3]。出生時は3600gであり、祖母が「おお、随分黒いオチンチンだ。丈夫になるぞ」と言ったという[3]。その後、高校卒業まで西区久保町で育つ[3][5]

横浜市立稲荷台小学校[14]、横浜市立岩井原中学校[14]を経て横浜市立横浜商業高等学校[13][15]を卒業。高校3年生位の頃、早朝ボウルがあり、ボウリング[注 3]を始める[3]。学校で決められた所に行くのは嫌であり、駅弁をもって何処かへ行くようであり、手作りの弁当でなければ食べた気しなく「じゃボウリング[注 3]場にしよう」ということで、当初は声優や役者の仕事に興味がなく、当時大ブームだったプロボウラーを目指して高校卒業後、ボウリング場に就職する[2][3][16][17]。しかし、思い描いた理想と現実のギャップに戸惑い、人と話すことが苦手になり半年で退職する[16][17]。井上は当時を振り返って「色んなことがあって人間不信に陥り、他人が乗っているエレベーターに一緒に乗ることさえ苦痛だった」と語っている[16]。その後、2か月ほど一人暮らしのアパートに引きこもって過ごすが、生きるために働かねばと発奮し、テレビ局の大道具係の仕事を始める。井上は「道具を扱うだけの仕事だろう」と高をくくって選んだと語っているが、実際にやってみたらハードで驚いたという。しかし、この仕事で心身ともに弱っていた自分が強くなれ、感謝していると語っている[16]

そんな折、ボウリング場勤務時代の同僚が声優になりたいと言うので、当時銀座にあった養成所・テレビタレントセンター東京校の試験を一緒に受けることになる[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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