五百籏頭眞
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1985年(昭和60年)、『米国の日本占領政策』でサントリー学芸賞受賞。他に吉田茂賞(2回)、吉野作造賞を受賞。2011年(平成23年)には文化功労者に選ばれる[6]

1995年(平成7年)1月17日阪神・淡路大震災で、ゼミ生の一人を亡くす。亡くなったゼミ生は、ゴスペルシンガー森祐理の実弟であり、告別式にはゼミ生が所属していた日本メノナイト・ブレザレン教団泉北キリスト教会で式辞を読んでいる。地元西宮市に本拠を置いた阪急ブレーブスのファンであった。

2019年(平成31年)2月、日本経済新聞において「私の履歴書」が連載された。

2020年(令和2年)6月18日付で、宮内庁参与に任じられた[7]

2024年(令和6年)3月6日午後、自身が理事長を務めるひょうご震災記念21世紀研究機構で執務中に息苦しさなどを訴えて神戸市内の病院に搬送されたが、同日、急性大動脈解離のため、死去した[1][8][9]。80歳没。訃報に際し、天皇・皇后は侍従長を通じて遺族に弔意を伝えた。同年2月23日の天皇誕生日に天皇・皇后に面会したばかりであったという[9]。死没日をもって従三位に叙され、瑞宝大綬章を追贈された[10][2]
学歴・研究歴
学歴

1962年 -
六甲高等学校卒業

1967年 - 京都大学法学部卒業

1969年 - 同大学院法学研究科修士課程修了

1987年 - 法学博士(京都大学、『米国の日本占領政策 : 戦後日本の設計図』[11]

研究歴2008年4月25日
防衛大学校
春季競技会表彰式にて

1969年 - 広島大学政治経済学部助手(その後専任講師・助教授)

1976年 - 同教授

1977年 - 同大学法学部教授(組織変更)ハーバード大学客員研究員(1977年〈昭和52年〉- 1979年〈昭和54年〉)

1981年 - 広島大学退官、神戸大学法学部教授ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員研究員(1990年〈平成2年〉- 1991年〈平成3年〉)日本政治学会理事長1998年〈平成10年〉- 2000年〈平成12年〉)

2000年 - 同法学研究科・国際協力研究科教授ハーバード大学客員研究員(2002年〈平成14年〉- 2003年〈平成15年〉)

2006年 - 神戸大学退職、神戸大学名誉教授。防衛省防衛大学校長に就任。

2012年 - 同大学校長退任、後任は国分良成公立大学法人熊本県立大学理事長に就任[12]。ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長に就任[13]

2018年 - 公立大学法人熊本県立大学理事長を退任。公立大学法人兵庫県立大学(現・兵庫県公立大学法人)理事長に就任[4]

2020年 - 宮内庁参与に就任。

2023年 - 兵庫県公立大学法人理事長退任[14]

政府委員歴

小渕恵三首相時代に官邸に設置された有識者会議「21世紀日本の構想」懇談会の外交分科会(第1分科会)座長

小泉純一郎首相時代に設置された私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員

福田康夫首相の私的懇談会である「外交政策勉強会」の座長

政府の有識者会議である「防衛省改革会議」(2007年〈平成19年〉12月に設立、2009年〈平成21年〉10月に解体)委員

発言・行動2007年3月18日
防衛大学校卒業式にて
イラク戦争
イラク戦争には一定の理解を示しつつも、当初より懐疑的な立場をとった[15]
歴史認識
2009年(平成21年)6月1日、北京で開催された「中国科学・人文フォーラム」で演説し、「日本が起こした侵略戦争は日本の国益を損ねた」とする見解を示した[16]。2006年(平成18年)9月7日配信の「小泉内閣メールマガジン」内の特別寄稿では、小泉政権の外交政策について「とりわけ大きな業績は、対米関係の高水準化」「首相自らがあの北朝鮮を訪問し、拉致を認めさせ、問題解決の大筋を共同声明に示す大業は、小泉以外の誰にもできなかったであろう」などと述べ、高い評価を与えた。その一方で「(小泉首相の)靖国(神社)参拝一つで、どれほどアジア外交を麻痺させ、日本が営々と築いてきた建設的な対外関係を悪化させたことか」とも述べ、「後継者たちに残したものと考えて対処せねばなるまい」と締めくくった[17]歴史認識問題について日本政府の姿勢を批判する論客や諸外国は、戦前の植民地支配や対外侵略だけでなく、その歴史を反省して平和的発展に尽くした戦後日本の歩みも踏まえて評価すべきだとしている[18]
福田康夫政権
歴代政権の外交政策の助言者として行動しているが、特に福田康夫政権では外交政策勉強会、防衛省改革会議と外交・防衛分野における主要なブレーントラストとなった。これは福田の内閣官房長官時代に私的親交を結ぶ機会があったからとされる[19]。防衛省改革に向けて2007年(平成19年)末に発足し、諮問機関「防衛省改革会議」に、五百籏頭が委員として参加した。最終報告書(2008年7月提出)を巡って、石破茂防衛大臣と激しく対立することとなった。しかし、首相であった福田康夫が、五百旗頭案を採用したため、五百旗頭の意見を軸に提案をまとめた[20][21]
新型コロナ
非渡航者による新型コロナウイルスの国内感染が日本で初めて確認され、相前後して世界保健機関が緊急事態を宣言した約1ヶ月後の2020年2月25日に、危機管理の専門家としてBSフジLIVE プライムニュースに招かれ、新型コロナウィルス拡大に伴う日本の危機管理について語った[22]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}番組内で五百旗頭は、流行性感冒であり春には終息するだろうという見方を示し、もし梅雨どきまで長引くようなことがあったら東京五輪の開催にも影響し、あるいは延期ということになりかねないと付け加えた[要出典]。
家族

一男四女あり。

父:
五百籏頭眞治郎(経済学者、神戸大学名誉教授、ローマ教皇庁グレゴリオ勲章受章)

兄:五百籏頭博治(神学者、南山大学名誉教授)

息子:五百籏頭薫(歴史学者、東京大学法学部教授)

甥:五百籏頭真吾(経済学者、同志社大学商学部教授)

甥:五百籏頭健吾(情報通信学者、岡山大学大学院自然科学研究科特任准教授)

門下生


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