五日市鉄道
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^ 鉄道院は既存の鉄道と並行するような出願はほぼ一貫して却下していた。『浅野セメントの物流史-近代日本の産業発展と輸送』222頁
^ 逗子に隠遁していた内山を岸らが説得して1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で当選させていた『五日市町史』855頁
^ 株金50円は分割払いで、申込証拠金2円50銭、第1回払込(大正11年4月)2円50銭、第2回払込(大正11年6月)2円50銭、3回4回5円としていた。『五日市町史』857頁
^ 第一次大戦期の好景気にあたり採掘、積込み労働者不足、貨車の不足、さらに労働運動による怠業など『浅野セメントの物流史-近代日本の産業発展と輸送』195-197頁
^ 石灰石枯渇により1929年11月に採掘を中止した『日本の地方民鉄と地域社会』141頁、『浅野セメント沿革史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 職業不明『浅野セメントの物流史-近代日本の産業発展と輸送』222頁
^ のちに「浅野セメントの傍系会社というよりも寧ろ浅野セメントの別働隊」といわれるようになる。『財閥研究. 第1輯』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 青梅の岸右鉅は浅野の意を受けて出資したとされる『五日市町史』860頁
^ 集落沿いのルートも検討されたが曲線が多く、距離も長くなり、踏切も多く設置しなければならず、さらに多摩川の架橋も長くなり、拝島駅との接続も直角となり接続か難しい、建設費が高額になるなどデメリットが多い。『日の出町史 通史編 下巻』441-442頁
^ そういわれているだけで、集落から離れているのはできるだけ直線で結ぶことを優先に敷設したため(鉄道忌避伝説)『日の出町史 通史編 下巻』448-449頁
^ 当時青梅鉄道拝島駅-立川駅間には中神駅のみであった
^ a b 青梅線の立川駅-拝島駅間の複線化は1944、1946年に実施されたが実際には1927年に複線化工事施工認可申請がされ土地買収も始められていたが経済的事情により中断している。『昭和初期の耕地整理と鉄道網の発達 立川の昭和史 第2集』242-246頁
^ 南武鉄道が1920年に立川延長を出願していたのに対し五日市鉄道は出願からの認可までの期間がきわめて短かった。『浅野セメントの物流史-近代日本の産業発展と輸送』222頁
^ 1929年に改称『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 1927年1月建設地決定、1928年1月工事着手、1929年4月竣工『浅野セメント沿革史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 川崎工場生産高は1930年以降急減している『浅野セメント沿革史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ セメント需要減退収入ニ大影響(南武鉄道営業報告書昭和5年下期)『南武鉄道物語』26頁
^ 多摩川では京王電気軌道多摩鉄道青梅鉄道、南武鉄道、国鉄下河原線『日本の地方民鉄と地域社会』94-95頁
^ (御嶽神社・養沢鍾乳洞コース21.8キロ)御嶽駅-御嶽神社-七代の滝-養沢鍾乳洞-怒田畑-十里木-武蔵五日市駅
^ 添付された東京、神奈川両知事連名による進達書には「事業統制並びに沿線開発上適切なる企画」と記されている。『昭和初期の耕地整理と鉄道網の発達 立川の昭和史 第2集』262頁
^ 西立川駅-立川陸軍航空廠陸軍航空技術研究所中神駅-陸軍航空工廠、昭和前駅(昭島駅)-昭和飛行機工業株式会社、拝島駅-陸軍多摩飛行場(現在の横田基地)(『昭和初期の耕地整理と鉄道網の発達 立川の昭和史 第2集』267-268頁)
^ 書物によって合併の期日はまちまちであり理由は不明であるが、「合併認可申請書」の認可日が昭和15年8月30日であり、昭和16年1月21日に提出された五日市鉄道の営業報告書に添付された文書に9月1日合併致候と記載されていることから、合併日は9月1日と判断される。『昭和初期の耕地整理と鉄道網の発達 立川の昭和史 第2集』262-265頁
^ 震度6強により桜木町駅は倒壊、その後発生した火災により線路際のライジングサン石油とスタンダード石油の石油槽に引火し大爆発を起こし横浜駅、桜木町駅は焼失した。内田宗治『関東大震災と鉄道』新潮社、2014年、177-184頁
^ 工場は京義本線馬洞駅の西方二粁にあった『浅野セメント沿革史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 戦前の西秋留駅とガソリンカーの写真『東京府史. 行政篇 第4巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 中島航空機田無製作所という名称は見当たらない。中島航空金属田無鋳鍛工場と運転工場が現在の西東京市谷戸にあり1944年に専用線が武蔵野鉄道(西武池袋線東久留米駅まで敷設されている。1945年4月12日の空襲により工場は壊滅的被害を受けている(名取紀之「東久留米駅構外線と中島航空金属」『鉄道ピクトリアル』No.884
^ ただ、戦後早くから武蔵上ノ原駅 - 郷地駅間の線路跡が道路として整備された立川市域と比べ、昭島市域では線路跡地で野菜を作る者がいたり、不法投棄の目立つ箇所もあり[107]、特に大神駅跡前後の切り通し部分は1980 - 90年代に至っても草木が覆い茂っていたりゴミが投棄されていたり[108][109]、西側の武蔵田中駅跡へ向かう線路跡には廃車体が投棄されているような状態だった[110]
^ 『保存版 立川・昭島今昔写真帖』には1963年当時の大神駅跡、宮沢駅跡、戦前のキハ2停車中の大神駅の写真が掲載されている[111]
^ 線路跡の再開発の際にホーム跡も含め埋め戻されている[109]

出典^ a b c d e f g h i j k 『株式会社年鑑. 昭15年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b 『秋川谷交通小史』40-44頁
^ 『鉄道とまちづくりのあゆみ 資料編』、109-110頁
^ 『鉄道局年報. 明治31年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本鉄道史. 中』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『村誌戸倉』305頁
^ 『村誌戸倉』276-280頁
^ 『立川駅百年』95頁
^ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 鈴木文彦「バスの発達と鉄道」『多摩の鉄道百年』146頁
^ 『日本全国諸会社役員録. 第25回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『日本全国諸会社役員録. 第27回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ 『五日市町史』844-851頁
^ 『五日市町史』849頁
^ 『人事興信録. 7版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
^ a b c d 『日本の地方民鉄と地域社会』110-117頁

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