五十嵐淳子
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以降2年間マスメディアから消えていたが[1][5][6][9]渡辺淳一原作の『阿寒に果つ』を読んで感銘を受け[9][10]、1974年秋に東宝同作品の映画化が決定したことから[9]、同作の田中収東宝プロデューサーに売り込みをかけ[9][10][11][12]、1975年1月17日、『阿寒に果つ』のヒロインに決定し[9][10]、芸能界の復帰が決まった[9][10][11][12][13][14]。五十嵐は「芸能界には友達もなく、もうこのまま引退でいいと思っていたけど、原作を読んで初めて仕事をやりたいと思いました。これを機会に本物の役者になりたいんです」と話した[10]。『阿寒に果つ』のヒロインに決まっていなければ、芸能界に復帰しなかったかもしれない[9]。マスメディアは「志垣太郎に会いたいから芸能界に復帰したのだろう」と見ていた[15]。また『スタア』(平凡出版)1976年4月号で自身の過去を正直に話すとし[5]、生い立ちと芸能界入りの経緯について、浦和生まれや父は電器店やレコード販売の経営などは、それまで伝えられた通りだったが、キネマ旬報社刊行『日本映画俳優全集 女優編』59頁に書かれた「高校在学中、雑誌のモデルをしているところをスカウトされ…」の件は事実でなく[1]、「川村高校2年17歳の夏に家出し、高校は中退した。銀座のクラブ『徳大寺』で1週間だけアルバイトをした。このとき、上条英男さんに会ったが、すぐに芸能界入りしなかった。芸能界入りの直接のきっかけは18歳の誕生日の後、1970年の秋に東映東京撮影所に遊びに行ったときに上条さんに再び会って芸能界入りした」などと話した[5]。『週刊セブンティーン』1972年3月14日号の「アイドル名鑑」には「東映ニューフェースとしてデビューして芸能界入り」と書かれている[2]。「徳大寺」のママ・徳大寺美瑠は「安西マリアもレオ(風吹ジュン)も歌はヘタだったけど、踊りは上手かったわね。この二人に比べて、全然何もしなかったのが五十嵐淳子。お客さまの席についても、お話しするわけじゃないし、お酒を飲むでもない。それでいてモテたわね。私は自分でお店を経営してから12年、その間、いろんなホステスさんを見てきましたが、その中でも三本の指に入るわ、モテ方が。とにかく老いも若きも、という感じよ。私が印象的だったのは水沢夕子(歌手=引退)ね。彼女はものすごく堅い娘だったけど、それにも関わらずモテたのは彼女ぐらいじゃないかしら。彼女は関口宏と結婚寸前まで行ったけど、結局、久保ひろしと結婚したわけ。関口の宏ちゃんは彼女と切れてからも、芸能界に入った彼女のバックアップをしてたのよ(中略)五十嵐淳子がうちに来たのもレオと同じケースね。六本木ゲイバーの男の子と恋愛し、アパートを借りにうちに来たの。ウチの店に来てからは生活は楽になったみたい。一時、某大会社の社長が、淳子のスポンサーとウワサされていたけど、彼女はあんな年寄りもいけるのか、という感じ。淳子は完全に恋愛を割り切っていたのね。何もしないのにどうして、と思っていたんですが、お客とポチョポチョやってたようよ。とにかく淳子に限らず、彼女たちは絶対に餓死はしないでしょうね(中略)例えば、淳子など、いかにも清純そうに見えるし、事実、清純かもしれないけど(恋愛を)何の抵抗感もなくできるタイプね」などと話している[16]梅宮辰夫は「五十嵐じゅんを銀座のクラブでスカウトしたのは僕」と述べている[6][17]。梅宮の実弟は銀座のナンバーワンスカウトと言われた人で[18]、梅宮も自身が勝手知ったる銀座のホステスをタレントとしてスカウトし、自身の主演映画に出演させ[17][19][20]、友人の上条の事務所「ジュエム・カンパニー」(後に「サンズ・カンパニー」)に預けていた[6][17]。梅宮の主演映画は不良性感度映画ばかりのため[17]、既存の女優は出演を嫌がった[17]上条英男は、2020年の吉田豪の著書『超 人間コク宝』(コアマガジン)でのインタビューで[7]、梅宮が話した通り「そうなんだ。五十嵐じゅんだけは俺のスカウトじゃないんだよ、梅宮辰っちゃんの紹介。梅宮の『不良番長』に誰か女を出したとき、辰ちゃんが『おい彼女、俺の車で送ってやるから乗れ』と言ってね。サンダーバードかなんかの助手席に五十嵐じゅんがいたんだよ。『上条、悪いけどこいつ芸能界に入れてくれないか?』と言われたんだ。だけど五十嵐じゅんは渋谷のナンバーワンのホストと付き合ってたの。そいつが『週刊女性』に一番ヤバい写真を売り込んでたんだ。あれ書かれたら五十嵐じゅんの人生は終わってたよ。で『週刊女性』の編集長の前で、五十嵐じゅんの手を引っ張って窓から飛び降りようとしたの。五十嵐じゅんだけは命懸けてもいいぐらいのいい女だったの。そしたら編集長が『上条、もうやめてくれ』って俺の脚をつかんでさ、俺の目の前でフィルムを焼いてくれたの。もうこれ(タレントのマネジメント)は俺の手に負えないって悟って、それで西城秀樹に会ったとき、大きな組織に入れないとダメだと秀樹を芸映に入れたんだ」などと述べている[7]。西城秀樹は「僕のサインは、同じ事務所にいた五十嵐淳子さんが考えたんです」と述べている[21]。 

出演
テレビドラマ

木下恵介アワー 「二人の世界」第16話(1970年、TBS) - 昭子

NHK大河ドラマNHK

新・平家物語」(1972年) - 瑠璃子

風と雲と虹と」(1976年) - 千載

おんな太閤記」(1981年) - 小督


夏姿花の忠臣蔵(1972年6月4日、TBS)

いま炎のとき(1972年、TBS)

あしたに駈けろ!(1972年、CX

地獄の辰捕物控(1972年、NET

北都物語 - 絵梨子のとき - 第1話?第3話(1975年、YTV

俺たちの勲章 第14話「雨に消えた・・・」(1975年、NTV・東宝) - 石島かおり

東芝日曜劇場(TBS系)

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