二瓶正也
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二瓶事務所を経て[2]、メセナに所属していた[5]
来歴ウルトラマン』。左から二瓶正也、石井伊吉小林昭二桜井浩子黒部進津沢彰秀

実父はドイツ人[8][9]。映画が好きであったことから、高校3年生時に俳優を志し東宝芸能学校の夜間部に入る[11]

1960年東宝第15期生ニューフェースとなり、しばらくは大部屋生活が続く[4]1961年岡本喜八監督作『暗黒街の弾痕』の「殺し屋B」でデビュー。コミカルな役柄を得意とし、東宝の専属俳優として活躍した。特に岡本喜八作品の常連となる。1962年に『妖星ゴラス』で特撮作品に初出演[12]。宇宙パイロット役を演じるが、本格的な東宝特撮映画出演はこの1本に留まった。1963年には若大将シリーズハワイの若大将』で運動部のマネージャー江口役に抜擢(ばってき)された。この役はシリーズを通して江原達怡が演じていたが、泳げないため海に落ちるシーンを嫌って降板した。そのため、この作品のみ二瓶が演じた。

1966年、『ウルトラマン』(TBSテレビ / 円谷プロダクション)で科学特捜隊のイデ隊員役に起用された[3]。コミカルで人間味豊かなキャラクターは高い人気を得て二瓶自身の代表作となった[6]。その後も『マイティジャック』(1968年)、アニメ『ザ☆ウルトラマン』(1979年)では前述のイデ隊員を意識したトベ隊員の声を担当するなど、円谷プロダクション作品に出演することとなる。

テレビドラマと並行して、引き続きクレージー映画などに出演していたが、1969年に東宝を退社[10]。フリーとなり、大きな身体とにぎやかな声を活かして『ぎんざナイトナイト』などのテレビ番組司会CMなどで幅広く活躍[4]

1980年代後半に鎌倉市に引っ越し、1990年代には不動産業などの実業家としての活動が中心となり、芸能活動は控えるようになった[8][9]。しかし、1990年代半ばにはウルトラシリーズブームの再燃もあり、再び円谷プロダクション作品に顔を出すようになる。1997年に『総理と呼ばないで』(フジテレビ)で久々のドラマレギュラー出演を果たした。2005年には『ウルトラマンマックス』にダテ博士役でセミレギュラー出演した。近年はビルオーナーをしており、芸能関連の仕事はウルトラマン関係のイベントが多かった。

2021年8月21日誤嚥性肺炎のため死去[出典 3]。80歳没。
人物

1972年カメラマンの福島晶子と結婚[4]、2人の娘がいる[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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