二子玉川駅
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-統計年度-[東急 1](田園都市線)85,176人/日
(大井町線)47,910人/日
(合計)133,086人/日
-2022年-
開業年月日1927年昭和2年)7月15日[1]
乗入路線 2 路線
所属路線■田園都市線
駅番号DT07
キロ程9.4 km(渋谷起点)
◄DT06 用賀 (1.8 km) (0.7 km) 二子新地 DT08►
所属路線■大井町線
駅番号OM15
キロ程10.4 km(大井町起点)
◄OM14 上野毛 (1.2 km) (2.0 km) 溝の口 OM16*►
* 二子新地および高津を大井町線として停車する場合、隣の駅は二子新地
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上りホームから多摩川河川敷を望む。写真の位置は改札口側からはすでに野川を渡河しており、写真左の川が多摩川、右方向に野川および改札口がある。(2018年12月)

二子玉川駅(ふたこたまがわえき)は、東京都世田谷区玉川二丁目にある、東急電鉄である。
概要

田園都市線大井町線が乗り入れている。線路名称上では、当駅が正式な大井町線の終点であるが、田園都市線の複々線化に際して大井町線の列車は溝の口駅に発着するようになり、当駅 - 溝の口駅間でも両系統を案内上別路線として扱っている。駅番号は田園都市線がDT07、大井町線がOM15である。

駅長所在駅であり、二子玉川管内として当駅と用賀駅を管理している。かつての二子玉川管内は当駅 - 梶が谷駅間であり、用賀駅は三軒茶屋管内であったが、管内再編により2009年10月1日に現在の体制となった。なお、二子新地駅 - 梶が谷駅間は同日から分離・新設された溝の口駅所管の「溝の口管内」となった。

西口(2018年6月)

改札口(2018年6月)

ホーム(2011年11月)

二子新地側の様子 複々線で溝の口駅方面へ続いている(2011年9月)

歴史1969年二子玉川駅にて玉電さよなら電車

玉川電気鉄道の玉川停車場として開業した。その後、目黒蒲田電鉄の大井町線が延伸し、隣接して二子玉川駅を開業する。

玉川電気鉄道が東京横浜電鉄に合併後、それまで経営していた玉川第二遊園地(のちの二子玉川園)を読売新聞とタイアップさせ、「読売遊園」に改称したのに伴い、玉川線の駅も「よみうり遊園駅」に改称。さらに東横が目蒲に合併したことに伴い、同一駅に二つの名称があるのは不合理だということで双方とも「二子読売園駅」に改称。戦局の悪化で遊園地が閉鎖されたことで「二子玉川駅」に改称するが、戦後遊園地が復活したことに伴い、「二子玉川園駅」に改称した。

長らく地上駅であったが、大井町線が田園都市線として長津田駅まで延伸されることとなり、1966年(昭和41年)3月18日に高架駅として改築された[1]。その際、駅全体が多摩川寄りに大きく移転した。この時、田園都市線の渡り線が一時撤去された[2]。なお、玉川線と砧線のホームは従来の場所(地上)に取り残され、1969年5月10日の廃線まで存置された。1977年4月7日に新玉川線が当駅に乗り入れた。

高架駅となった当初は、渋谷から銀座線が延長し当駅で折り返す計画であったが、輸送量の関係で東急が新玉川線を建設するのに合わせて高架駅が建設されたという経緯から、折り返しが容易な内側の2・3番線を計画されていた銀座線→新玉川線、すなわち現在の田園都市線が使用し、外側の1・4番線を現在の大井町線(1979年までの田園都市線、すなわち大井町 - 当駅 - つきみ野間の列車)が使用していた。

新玉川線が田園都市線と完全に直通運転を行うようになる1979年8月11日までは、新玉川線の線路は当駅の渋谷寄りで上下線がY字ポイントで合流し、再びY字ポイントで2・3番線に分かれるという形態であった。

1979年8月12日に田園都市線の運行経路が変更され、長津田方面からの田園都市線列車は新玉川線の発着していた内側の2・3番線を使用することになった。この時に前述のY字ポイントは撤去されている。一方、当駅 - 大井町間は大井町線の名称に戻り、上野毛駅寄りに再び両渡り線を設けて、ホームの異なる外側の1番線と4番線のそれぞれで折り返す形での発着を行うようになる。その結果、両線の乗り換えには連絡通路を移動する場合としない場合が存在することになった。また、連絡通路が狭いために通路内で乗客が錯綜することもあった。関連して大井町線では1990年から1999年まで「二子玉川園」の行先表示を当駅の到着番線によって色分けし、4番線到着列車の字幕の地色は黒のまま、1番線到着列車の字幕の地色は緑にしていた。

運行経路変更以降は不便な状態が続いていたため、田園都市線複々線化工事(大井町線の溝の口延伸)を機に1994年から駅改良工事が実施され、1999年に外側の1・4番線を田園都市線、2・3番線を大井町線として使用するようになった[3]

その後、2003年8月中旬から2004年8月下旬まで、2期に分かれて(1期:2003年8月中旬から2004年3月下旬まで、2期:2004年4月中旬から8月下旬まで)エレベーター設置工事が行われた。1期は連絡通路の建設およびコンコースと通路を連絡するエレベーターの建設が、2期は連絡通路とホームを連絡するエレベーターの建設が行われた。1期工事完了時に連絡通路とホームの間に仮設スロープが設けられ、暫定的にバリアフリー対応とされた。この仮設スロープは2期工事期間中のみ使用され、連絡通路とホームを連絡するエレベーターの供用開始後に撤去された。

2006年4月、下りホームに待合室が完成した。その後、同年5月から9月下旬までホームの西半分において屋根の拡幅工事が行われた。既存の屋根にひさしが取り付けられ、雨天時の雨の吹き込みが減少するとされる。

西口(2004年)。駅向かい側の玉川高島屋側から西口を望む

西口(2007年秋)。左側は再開発中の敷地

多摩川対岸から駅を遠望する(2004年)

東口バスターミナル(2007年)

年表

1907年明治40年)4月1日:玉川電気鉄道(のちの東急玉川線)玉川駅として開業[1]

1924年大正13年)3月1日:玉川電気鉄道砧線が開業[1]

1927年昭和2年)7月15日:玉川電気鉄道溝ノ口線玉川駅 - 溝ノ口駅(現在の溝の口)間が開業。

1929年(昭和4年)11月1日:目黒蒲田電鉄二子玉川線(現在の大井町線)二子玉川駅が開業[1]

1939年(昭和14年)3月10日:玉川線玉川駅がよみうり遊園駅に改称。

1940年(昭和15年)12月1日:大井町線・玉川線の両駅を統合し二子読売園駅に改称[1]

1943年(昭和18年)7月1日:二子読売園駅 - 溝ノ口駅間の軌道の軌間を1,372 mmから1,067mmに改軌し、大井町方面と直通運転開始[1]地方鉄道法への変更は1945年10月1日)。

1944年(昭和19年)10月20日:二子玉川駅に再改称[1]

1954年(昭和29年)8月1日:二子玉川園駅に改称[1]

1963年(昭和38年)10月11日: 大井町線の名称を田園都市線に変更。

1964年(昭和39年)6月:当駅を含む上野毛 - 高津間の改良工事に着手[4]

1966年(昭和41年)

3月18日:当駅を含む上野毛 - 高津間の改良工事完成[4]。田園都市線の駅が高架駅となり、鉄道専用の二子橋梁の使用を開始[4]

4月1日: 田園都市線溝の口 - 長津田間開業。


1969年(昭和44年)5月11日: 玉川線と砧線が廃止。

1974年(昭和49年)6月1日:自動改札機設置[5]


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