二十四の瞳
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1946年(昭和21年)、夫を海戦で、相次いで母親も末娘も亡くした大石は、ふたたび代用教員として教壇に復帰する。幼い児童たちの中にはかつての12人の児童たちの近親者もいる。最初の12人と子供たちの姿をだぶらせ、涙ぐむ大石は、その昔「おなご先生」とあだ名をつけられたように「泣きミソ先生」と呼ばれることとなる。

しばらくたち、教師の道をえらび、母校に勤務しているかつての教え子・早苗の呼びかけで、12人のうち消息のわかるミサ子、小ツル、マスノ、磯吉、松江、吉次の6人は大石と早苗と会合をもつ。貧しさから波乱の人生を余儀なくされた松江、家が没落し消息を絶った富士子、誰にも看取られることなく病死したコトエ、遠い海の向こうで戦死し2度と帰ってこない仁太・正・竹一、戦場で負傷し失明した磯吉、一人一人に思いを馳せながら兵隊塚の墓参をした後、会合では、時代の傷を背負って大人になった教え子は、大石を囲んで小学1年生のあの日皆で一緒に撮った写真を見る。

ビールを飲みながらマスノが、すさんだ時代の中、海千山千になるしか生き残れなかったことを嘆き、「荒城の月」を歌う中、失明した磯吉が一人一人名前を呼びながら写真の顔を指さすが、少しずつずれていた。大石が「そう、そうだわ、そうだ」とほほえみながら肩を抱いて、歌を聞きながら涙がほほを伝うと、皆しんとし、早苗がマスノにしがみついて、むせび泣くのであった。
登場人物

大石久子

加部小ツル

片桐コトエ

香川マスノ

川本松江

木下富士子

西口ミサ子

山石早苗

相沢仁太

岡田磯吉

森岡正

竹下竹一

徳田吉次

書誌情報

この節の加筆が望まれています。


二十四の瞳(1952年12月、光文社

二十四の瞳(1954年、光文社カッパ・ブックス

二十四の瞳(1957年9月9日、2005年4月1日〈改版〉、新潮文庫ISBN 978-4-10-110201-6

二十四の瞳(1961年9月30日、角川文庫ISBN 978-4-04-111308-0

二十四の瞳(2007年6月23日〈改版〉、角川文庫、ISBN 978-4-04-111311-0


フィルモグラフィ

以下は、本作を原作もしくは、本作を参考としたものである。
劇場用映画詳細は「二十四の瞳 (映画)」を参照
1954年版

1954年に公開された木下惠介監督・脚本、高峰秀子主演の映画化作品。「二十四の瞳 (映画)」を参照
1987年版

1987年に公開された木下惠介脚本、朝間義隆監督、田中裕子主演による1954年版のリメイク作品。「二十四の瞳 (映画)#1987年版」を参照
テレビドラマ
1964年版

1964年4月17日 - 7月10日に、開局して間もない東京12チャンネル(現・テレビ東京)において放送された。放送時間は金曜19時30分 - 20時 (JST)。


キャスト


香川京子

小夜福子

下元勉

鈴木光枝

田村高廣

山本學

有田紀子


スタッフ


演出 - 木下恭三

脚本 - 田井洋子

音楽 - 林光


東京12チャンネル 金曜19時台後半枠
前番組番組名次番組
(開局前)二十四の瞳
(1964年版)こども裁判


1967年版

1967年10月19日 - 1968年3月28日日本教育テレビ(現・テレビ朝日)系列において「大丸名作劇場」(木曜21時 - 21時30分)枠で放送された。


キャスト


亀井光代

徳大寺君枝

藤原釜足

長谷川哲夫


スタッフ


監督 - 久松静児

脚本 - 西沢裕子

制作 - 宝塚映画(現・宝塚映像)、宝塚毎日放送


毎日放送制作・NET系列 木曜21時台前半枠
【『大丸名作劇場』再開】
前番組番組名次番組
ダークです・
うたいます・うたの心を
二十四の瞳
(1967年版)若草物語

1974年版

1974年11月11日 - 20日にNHKにおいて「少年ドラマシリーズ」枠で放送された。本作を収録したマスターテープは他の番組制作に使い回されたために映像は残っていない。


キャスト


杉田景子

文野朋子

下條正巳

露原千草

武智豊子


スタッフ


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