二・二六事件
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決起将校らは歩兵第1連隊歩兵第3連隊近衛歩兵第3連隊野戦重砲兵第7連隊等の部隊中の一部を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣鈴木貫太郎侍従長斎藤実内大臣高橋是清大蔵大臣渡辺錠太郎教育総監牧野伸顕前・内大臣を襲撃、首相官邸警視庁、内務大臣官邸、陸軍省参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠した。元首相兼海軍軍人斎藤実は殺害されたが後継の岡田啓介首相は無傷であった。

将校らは、林銑十郎ら陸軍首脳を通じ、昭和天皇に昭和維新の実現を訴えたが、天皇は激怒してこれを拒否。自ら近衛師団を率いて鎮圧するも辞さずとの意向を示す。これを受けて、事件勃発当初は青年将校たちに対し否定的でもなかった陸軍首脳部も、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧することを決定し、包囲して投降を呼びかけることとなった。叛乱将校たちは下士官兵を原隊に帰還させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。しかし彼らの考えが斟酌されることはなく廣田内閣の陸軍大臣寺内寿一の下、一審制裁判により、事件の首謀者ならびに将校たちの思想基盤を啓蒙した民間思想家の北一輝らが銃殺刑に処された。これをもってクーデターを目指す勢力は陸軍内から一掃された。

事件後しばらくは「不祥事件(ふしょうじけん)」「帝都不祥事件(ていとふしょうじけん)」[6]とも呼ばれていた。算用数字で226事件、2・26事件[7][8][9]とも書かれる。
主な関係者
叛乱軍
首謀者(首魁)

野中四郎陸軍歩兵大尉

香田清貞陸軍歩兵大尉

安藤輝三陸軍歩兵大尉

栗原安秀陸軍歩兵中尉

磯部浅一元陸軍一等主計

北一輝

西田税


野中四郎(陸軍歩兵大尉・歩兵第3連隊第7中隊長

香田清貞(陸軍歩兵大尉・歩兵第1旅団副官)

安藤輝三(陸軍歩兵大尉・歩兵第3連隊第6中隊長)

河野壽(陸軍航空兵大尉・所沢陸軍飛行学校操縦学生)

栗原安秀(陸軍歩兵中尉・歩兵第1連隊附)

村中孝次(元陸軍歩兵大尉)

磯部浅一(元陸軍一等主計

北一輝思想家

西田税(思想家、元陸軍騎兵少尉)

参加者(群衆指揮等)

中橋基明陸軍歩兵中尉

高橋太郎陸軍歩兵少尉


竹嶌継夫(陸軍歩兵中尉・豊橋陸軍教導学校附)

対馬勝雄(陸軍歩兵中尉・豊橋陸軍教導学校附)

中橋基明(陸軍歩兵中尉・近衛歩兵第3連隊附)

丹生誠忠(陸軍歩兵中尉・歩兵第1連隊附)

坂井直(陸軍歩兵中尉・歩兵第3連隊附)

田中勝(陸軍砲兵中尉・野戦重砲兵第7連隊附)

安田優(陸軍砲兵少尉・陸軍砲工学校学生(野砲兵第7連隊附))

中島莞爾(陸軍工兵少尉・鉄道第2連隊附)

高橋太郎(陸軍歩兵少尉・歩兵第3連隊)

林八郎(陸軍歩兵少尉・歩兵第1連隊)

渋川善助(思想家、元士官候補生


被害者
死亡

松尾伝蔵(内閣嘱託、内閣総理大臣秘書官事務取扱[10]・陸軍歩兵大佐

高橋是清(大蔵大臣、元内閣総理大臣)

斎藤実(内大臣、元内閣総理大臣)

渡辺錠太郎(教育総監・陸軍大将

警察官5名[11]

重傷

鈴木貫太郎(侍従長・海軍大将

他警察官など負傷者数名



岡田啓介(内閣総理大臣・海軍大将) - 殺害対象であり首相官邸を襲撃されるが、襲撃グループが松尾伝蔵を岡田と誤認・殺害したことで難を逃れた。

背景
陸軍高級幹部の派閥争い:皇道派と統制派皇道派のリーダー荒木貞夫

大日本帝国陸軍の高級将校の間では、明治時代の藩閥争いを源流とする、派閥争いの歴史があった。1930年代初期までに、陸軍の高級幹部たちは主に2つの非公式なグループに分かれていた。一つは荒木貞夫大将とその盟友真崎甚三郎大将を中心とする皇道派、もう一つは、永田鉄山少将を中心とする統制派であった[12][13][14]

皇道派は天皇を中心とする日本文化を重んじ、物質より精神を重視、無論、反共産党主義であり、ソビエト連邦を攻撃する必要性を主張していた(北進論)。

統制派は、当時のドイツ参謀本部の思想、ならびに第一次世界大戦からの影響が濃く、中央集権化した経済・軍事計画(総力戦理論)、技術の近代化・機械化を重視、中国への拡大を支持していた(南進論)。

荒木大将の陸軍大臣在任中は、皇道派が陸軍の主流派となり、多くの重要な参謀ポストを占めたが、彼らは荒木の辞任後に統制派の将校たちに交替された[15][16]
青年将校の政治化

陸軍将校は、教育歴が陸軍士官学校(陸士)止まりの者と、陸軍大学校(陸大)へ進んだ者たちの間で人事上のコースが分けられていた。陸大出身者は将校団の中でエリートグループを作り、陸軍省参謀本部教育総監部の中央機関を中心に勤務する[17]。一方で、陸大を出ていない将校たちは慣例上、参謀への昇進の道を断たれており、主に実施部隊の隊付将校として勤務した。エリートコースから外れたこれらの隊付将校の多くが、高度に政治化された若手グループ(しばしば「青年将校」と呼ばれるが、警察憲兵隊からは「一部将校」と呼ばれる)を作るようになっていった[18][19]


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