亀渕昭信
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亀渕は「糸居と今仁の中間路線、土曜日ということもあり、音楽とオチャラケ話が中心の明るく楽しい番組を心がけた[要出典]」という。

このころ、斉藤と一緒に「カメ&アンコー」名義で「水虫の唄」(CBSソニー)、「ひとりぼっちの唄」(キャニオン)、あるいは「カメカメ合唱団」名義で一人4重唱の「こころのシャンソン」「少年探偵団」(RCAビクター)などの楽曲を発表し、番組人気を高めることに貢献。のちにエレックレコードから、泉谷しげると共演した「カメカメ合唱団」名義のアルバム『人生はピエロ』をリリースしている。

内戦の惨状と日本の古米余りの記事を、おふくろが読んで「余った米をビアフラに送ればいいじゃない」と呟いたのがキッカケなんです。翌日、「霞が関の外務省に『ビアフラへ米を送れ』ってハガキを送って!」と喋った。上司に無断だったから、内心ビビってた(笑)。だけど、3000通を超えるハガキが外務省に届いて閣議決定して支援の米が送られたんだから驚きました

また、1970年、現在のナイジェリア南東部にあたる、ビアフラ共和国で起きた民族紛争「ビアフラ戦争」のあおりで、難民が飢餓に苦しんでいたことを新聞で知り、一方で日本では古米が余っているという記事を亀渕の母親が見て「余った米をビアフラに送ればいいじゃない」呟いたのを聞いて思い立ち、そこでオールナイトニッポンの番組中で国際赤十字が世界の各国に支援を要請していることをリスナーに紹介し、当時の外務大臣愛知揆一と、外務省に対して「ビアフラにたくさんの日本米を送れるようにはがきを送って下さい」とする呼びかけを行った。この時、上司に無断での呼びかけだったことから亀渕は「内心ビビってた」ということだったが、その後全国から3000通以上の嘆願の手紙・はがきが外務省に寄せられ、日本国政府はビアフラに日本米5000トンを救援物資として贈ることを実現させた[11][12]

1972年7月[13]より、編成方針の変更のため、月曜日から土曜日の週6回、午前1時から3時まで『オールナイトニッポン・ビバカメショー』を担当する(約1年間)。ここでは従来の『オールナイトニッポン』とは異なる路線を敷き、洋楽ファン、特にロックファンやフォークファンのために音楽中心の番組作りを行う。ゲスト陣は沢田研二から来日したニルソンにいたるまで、幅広い人選だった。
裏方に専念

1973年夏、『オールナイトニッポン』制作チーフに起用されたのを機に、しゃべる側から作る側に戻る。この時期から、『オールナイトニッポン』は模様替えを企図され、社員がパーソナリティを担当することは原則として控えられ、代わってタレントやフォーク歌手が起用されるようになった。番組スタッフのリサーチにより新規に次々とパーソナリティが発掘され、のちの『オールナイトニッポン』独自のスタイルが築かれるにいたった[7]オールナイトニッポン#歴史を参照)。同年に編成部副部長へ昇格。

1978年1月に編成部長、1980年に制作部長、1983年に編成局長・制作部長へ昇格。

1983年8月、伊武雅刀のナレーションを生かしたユニークな歌唱によるシングル「子供達を責めないで/パパと踊ろう」をプロデュースする。「伊武が出演するラジオ番組が期日までに終了出来なかったペナルティ」という触れ込みで、伊武の所属事務所社長の依頼で制作されたもの(伊武雅刀#音楽を参照)。

1985年6月15日、民放ラジオ64社(当時)が企画した音楽イベント「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」が東京・国立競技場で開催される。亀渕は同イベントのチーフプロデューサーを担当する。同年6月27日、取締役編成局長に就任。

1999年、ニッポン放送代表取締役社長に就任[14]2001年10月、社団法人デジタルラジオ推進協会理事長に就任(2008年6月退任)。

2004年藍綬褒章を受章。また、日本宣伝賞正力賞を受賞。

2005年1月、ニッポン放送はフジサンケイグループの資本関係を正常化するため、フジテレビからの株式公開買付け提案を受諾する。その直後ライブドアによる市場での株式大量買い付けによる買収騒動が勃発。亀渕は一貫して「ニッポン放送はフジサンケイグループの一員として残る」との姿勢を崩さなかった。詳細は「ニッポン放送の経営権問題#ライブドアによる敵対的買収事件」を参照
社長退任後

株主騒動が収まった2005年6月にニッポン放送社長を退き、同社相談役に就任する。

同月、前年に死去した母が保管していた荷物から、『オールナイトニッポン』時代に聴取者が亀渕へ送ったハガキの束を見つける。翌年の2006年、その差出人を探し出すラジオ番組『亀渕昭信のオールナイトニッポン 35年目のリクエスト 青春のかけら届けます』を制作。同年5月14日に放送され、日本民間放送連盟の「日本民間放送連盟賞」ラジオエンターテインメント番組部門優秀賞を受賞[15]。同番組は文章にまとめられ、翌年書籍化された(後述)。

2008年6月、ニッポン放送を退社。この年の8月から、スタジオジブリ発行のフリーマガジン『熱風』に、「ドーナッツ盤に恋をして 私説ロックンロール黄金史」の連載を開始(のちに書籍化、後述)。

2009年4月7日より、NHKラジオ亀渕昭信のいくつになってもロケンロール!』のDJを務める。


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