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を翻訳することにより充実させることができます。(2022年9月)翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。慶尚北道 亀尾市朴正煕生家付近にある朴正煕元大統領の像
位置
各種表記
ハングル:???
漢字:龜尾市
日本語読み仮名:きびし
片仮名転写:クミ=シ
ローマ字転写 (RR):Gumi-si
統計(2023年)
面積:615.35 km2
総人口:405,506[1] 人
男子人口:209,131 人
女子人口:196,375 人
行政
国: 大韓民国
上位自治体:慶尚北道
下位行政区画:3邑5面17洞
行政区域分類コード:37050
亀尾市の木:ケヤキ
亀尾市の花:レンギョウ
亀尾市の鳥:カササギ
自治体公式サイト: ⇒亀尾市
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亀尾市庁
亀尾市(クミし)は、大韓民国慶尚北道の中西部にある市である。東は大邱広域市軍威郡、西は金泉市、南は漆谷郡、北は尚州市と義城郡に接する。面積615.35平方キロ、人口は405,506人(2023年12月)。慶尚北道の市の中で面積が慶山市に次いで2番目に狭い一方、人口は浦項市に次いで多く、人口密度は慶尚北道1位である。朴正煕元大統領の出身地であり、その政権下で工業都市化が進んだ。市のブランドスローガンはYes Gumi。 新羅真平王36年(614年)に沙伐州を廃して、「一善州」を設置して軍主を置きながら「一善」という名前が主に使用された。しかし、神文王7年(687年)に再び一善州から沙伐州に、景徳王時には「嵩善郡」に改めた。[5]高麗時代、成宗14年(995年)には「善州」と改め、顕宗9年(1017年)には?州所属とされたが、高麗仁宗21年(1142年)には一善県令に改め、その後再び知善州事に昇格した。朝鮮太宗時代、現存している地名である善山に改めることになった。後の規例に基づいて善山都護府に昇格させた。善山住民はいまだに一善や崇善寺や善州といった言葉を使っており、歴史の深さをいまだに示している(善山金氏、善山小学校校歌の中《崇善寺の善山》、商号《一善村、一善ガソリンスタンドなど》善州保育園、善州人材など)[6]。善山郡は別名和義郡と称していた。
歴史
亀尾市
1978年2月15日 - 慶尚北道亀尾地区出張所(善山郡亀尾邑・漆谷郡仁同面)が亀尾市に昇格。[2]
1983年2月15日 - 漆谷郡北三面呉太洞を編入。[3]
1995年1月1日 - 亀尾市・善山郡が合併し、改めて亀尾市が発足。[4](1邑7面)
1997年11月1日 - 高牙面が高牙邑に昇格。(2邑6面)
2021年1月1日 - 山東面が山東邑に昇格。(3邑5面)
善山郡
朝鮮時代 慶尚道善山郡、善山都護府
1895年6月23日(旧暦閏5月1日) - 大邱府
1896年8月4日 - 慶尚北道善山郡に改編。